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秋なのに、春みたいな旅立ちのマドレーヌ

「お世話になりました」
と、若い男の子が菓子折りをもって挨拶に来た。彼は10月1日から別の支店に行くことが決まっている。彼とは1ヶ月程度だけど一緒に働いたことがあって、今は部署も違うし仕事上の関わりもないけれど、フロアが一緒のところで働いている。
「ありがとう」
とお菓子を受け取りながら、少し言葉を交わした。


異動になる部署は人数が足りておらず、体力的にもハードなところだという。
「体壊さないようにね」
と、あたりさわりのないことを言うと、
「ひゃはっ、まあなんかあっても上の人にお任せしたらいい話だし〜なんとかなるっしょ!」
なんてへらへら笑って言うので、おいおい本当にこんな調子で大丈夫か…?と思った。
終始彼のひょろひょろの体が、所在なく揺れていた。


彼だけでなく、この秋は部署異動や転勤、退職が多い。それでなくても人の出入りが激しい会社なのだけど、ずっと働いていたベテランの人が辞める、と人づてに聞いたときは驚いたし、知らぬ間に退職していた人もいるし、あの人がここに異動?何があって?という人もいる。


一番驚いたのが、エリアをまとめていたトップクラスの人(うちでは呼び方が違うのだけど、部長クラスの人)が、今月いっぱいで退職されるということだった。寝耳に水だった。

そんなに話したことはなかったけれど、わたしみたいな下っ端にも気さくに話しかけてくれて、時には熱くて、あぁすごく人と話すのが好きで、この仕事が好きなんだろうなあ、というのが伝わってくるような人だった。笑っているけれど、なんか冷たさを感じる、今までのトップの人とは少し違う感じだった。


良い人はみんなこの会社から去っていく。


わたしはいつまでこの会社で働き続けるのだろうか。


誰かが次のステージにいく、と聞くと、いつもそう思う。何も変わっていない自分と比べてしまう。こんなことやってていいのかな、良くないよなあ、ああ自分も何かして変わらなきゃ、と急に焦る。

しかし、その「何か」がわからない。とりあえず、思いつきで興味のあることをやってみてはすぐ辞めて、の繰り返しでつづかない。また結局いつものだらだらした代わりばえのない日常に戻っていく。


時々ふと、わたしももう仕事やめよかな、しんどいしな、と思ってしまう。けれど生活がかかっているので、そんな簡単にはやめられない。もう5年も働いているので、転職をする元気がない、と言ったほうがいいのだろうか。


変わることよりも、今は変わらないことを選んでいる自分がいる。


こんなので本当に成長しているのだろうか。


毎日小さな変化はあるのだろうけど、目に見えない大きな変化がない分、不安になる。


そこで、思い出せる限りの小さい変化を書き出してみた。


まず、5月に胃腸を悪くしたのをきっかけに、朝ごはんをパンからお粥に変えたら、すこぶる体調が良くなった。腹持ちも良くなった気がする。お昼頃お腹が減ってイライラするという回数が減った。


水回りの掃除をすると運気があがる、というので、2月ぐらいからトイレ掃除を大体毎朝するようになったら、朝から気分良く1日が始められるようになった。


この2週間ほど、白紙の紙に予定を書き出すようにしたら、頭が整理されて、あまり行動に迷いがなくなった。


おお、ちゃんといい方向に変化してる、わたし。


それでもお腹が減ればイライラする時もあるし、全然時間がなくてトイレ掃除をサボるときもまあまああるし、予定を書き出してもシフトを間違える時もあるし、そもそも時間がなくて予定を書き出せないこともあるし、ダメなところはダメなところでたくさんあるけれど、


ちゃんと変化してるぜ、わたし。


と言いたくなった。



大きな変化が起こるのは、多分小さな変化がたまりにたまったときだ。

小さなものがたくさん集まっているから大きく見えるだけで、ひとつひとつはそんな大したものじゃないのだ。


それはまるで、泳ぐイワシの大群のように。


変わらないように見える自分を嘆くのではなく、今はそんな小さなものを、この場所で集めている最中なのかもしれない。


だからもう少し、今の場所で頑張ってみようかなあ、1日1日を。



彼が持ってきてくれたマドレーヌを、昼休憩のときに食べた。とてもふわふわしていて、美味しかった。

そういえば彼はああ見えて、結構やさしいところがあった。やさしさよりも、変人要素のほうが個性として断然勝っていたのは間違いないけれど、誰も見ないところに気づくやさしさを持っていた。


皆さま、何かしらの旅立ち、おめでとう。


ありがとうございます。文章書きつづけます。