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クリームソーダのおもひで

クリームソーダの緑茶を、お気に入りのマグカップに淹れて飲んでいる。クリームソーダの緑茶って、なかなか面白いでしょう?そう、面白いと思って、昨年買ったのだ。賞味期限を少し過ぎてしまっているけれど、白いカップのなかに広がる、メロンソーダをかなりうすめたような緑色や、(あ、でも緑茶だから、単純にその葉っぱの色ですね)バニラアイスを模したあまい香りは、この新緑の季節にとても合っている。あぁ、このさわやかさが、どこかなつかしくて、落ち着く。

緑茶を飲みながら、ふと自分の人生で、何回ぐらいクリームソーダを飲んだだろう、と思った。多分、片手の指で数えられるほどしか飲んだことがない。それでも思い出すのは、たてながの透明なグラスに注がれた、どくどくしいメロンソーダの海に、ぽこっと浮かぶバニラアイスの島、そしてちょこんとのった、さくらんぼ。そんな小さな世界だ。

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クリームソーダを初めて飲んだのは、確か小学生になるちょっと前だ。「何か好きなもん買うてあげる」と、祖母と大叔母と、初めて都会の大きい百貨店にお出かけした。都会の荒波にさらわれないように、2人の手をぎゅっと強くつなぎ、お気に入りのピンクのスカートを履いて、ひょっこひょっこと歩く。買ってもらったものは覚えていないけれど、何かを買ってもらったあと、お茶でも飲もうか、と入ったのは、ガラスばりの近代的な喫茶店だった。そこで大叔母が、クリームソーダを頼んでくれた。テーブルに運ばれたクリームソーダは、とても大きかった。水槽をのぞきこむように、クリームソーダの幻想的なグラデーションのみどりと、浮かぶ氷と、白いバニラアイスを眺めていた。こんなん食べたら、お母さんにお腹こわすからあかんって怒られてしまうかも。ちょっと悪いことをしているような、うしろめたい気持ちになりながらも、重たい銀色のスプーンで一生懸命アイスをつつき、ストローでメロンソーダをちゅーっと体に吸い上げる。祖母と大叔母は、コーヒーを飲みながら、その様子を見ていた。そのあと、帰る方向が違う大叔母と、じゃあまたね、と駅で別れて、祖母と一緒に家に帰った。今年80になる大叔母は、現在も職業婦人としてシャキシャキと元気に働いているそうだ。

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一番最後に飲んだのは、確か社会人になって、数年経った時だ。友人と安い居酒屋で、しこたま飲み、しこたま仕事や上司の愚痴を言い、くだらないことで笑い合い、もうそろそろラストオーダーじゃない?なんか甘いもん食べよか、となって、クリームソーダを頼んだ記憶がある。友人は、フォンダンショコラを頼んでいた。そのクリームソーダは、ギラギラしたネオンサインを彷彿させるる、どぎつい緑色だった。シュワシュワの炭酸の泡も、激しい。アイスがその上に、ボコッと雑におかれている。さくらんぼはなかった。「それすごい色してんなあ」と友人が言った。赤いストローも相まって、なんかチカチカする。安っぽさが、なんかその時の自分みたいだった。何もできないくせに、言うことだけは一人前。これぐらいの歳によくあることかもしれないけれど、今考えると情けなく、恥ずかしい。けれど、アイスクリームとメロンソーダの間のシャリシャリした部分は、美味しかった。友人とはコロナのこともあり、全然会っていないし、連絡もとっていない。けれど、今も介護士として、バリバリ働いていると思う。

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今までの人生で数回しか飲んだことがないけれど、いつもクリームソーダを飲むとき、隣には大切な誰かがいた。気づかなかったけれど、わたしにとって、きっと特別な飲み物だった。クリームソーダはひとりで飲めない。飲んじゃいけないんだ。次にクリームソーダを飲めるのは、いつだろう。みどり色の、シュワシュワのグラスの向こう側にいるのは、誰だろう。今度飲むときは、また新しい大切なひとが増えたらいいなあ、そんなことを思いながら、ひとりでクリームソーダの緑茶を飲み終える。

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