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はだしで走る2020年

   たった今、履いていた分厚い靴下を脱いだ。

新年早々なんの報告だよとツッコミを入れた方、すみません。わたしもそう思いました。なんの報告だよ。

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 しかしこの寒さにもかかわらず、急にはだしになって走りたくなるのは、なぜなんだろう。足のウラを真っ赤にしてでも、血がほとぼしっても、無我夢中で走りたくなるこの衝動。気持ちがおさえられない。前にテレビで外国のマラソン選手が、故郷のトレーニングではだしで走っているのを見た。その故郷というのが、空気のうすい、高地の山のゴツゴツしたところで、イメージ的にはちょっと秘境っぽいところで。こんなところをよくはだしでよく走れるなあ、痛くないのかなあって思いながらわたしは見ていた。でも彼にとっては小さいころからずっと走ってきたコースらしくて、トレーニングのはずのなのにそれがとても気持ちよさそうで爽やかすら画面から感じて、いいなあと思った。彼は白い歯を見せて本当に楽しそうに走っていた。

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昨年の元旦。わたしはこんなことをnoteに書いていた。(さっぱり憶えていない)

昨年を振り返って。人のいいところを伝えられる年だったかどうかは、うーん、残念ながら正直あまり機会がなくて伝えられなかったと思う。でも自分の言いたいことをちゃんと言葉にして相手に主張できた年だった。自分にとってこれは大きな変化だったと思う。

 そして「自分がこうしたい」「こういうことをやめてほしい」ということを、ちょっと勇気を出してえいやっと言ってしまえば、相手はちゃんと理解を示してくれることが多いということもわかった。わたしは話すのはうまくないし、よくどもる。頭の回転が鈍いため、何を言っているのか自分でもわからなくなることもある。そのことによって相手をイライラさせているかも…と思うと、焦って冷や汗かくこともある。それでもどもりながらでも、相手がどんなに怖い顔でこちらを睨んでいても、伝えたいという思いさえあれば相手はちゃんと理解を示してくれることが多かった。そして相手からも「ここがちょっと違うなと思ったからこういうことを言ったんだよ」とか「こういう意味で言ったんじゃないよ」ということをわたしに伝えてくれることが多くなった。そのことによってわたしも「ああ、そういう気持ちに相手をさせていたんだなあ」ということがわかって素直に謝ることができたし、これは勝手に勘違いしていただけか、ということがわかったりして、大きな発見だった。

 そもそも自分は今まで相手にちゃんと伝える努力をしてきただろうか。相手に伝えることを怠けていただけではないか。こうしたいって思っているのに、それを言うこともせず気づいてよ…。そんな態度で接してきたのではないか?笑われるのが怖くて、伝わらないのが怖くて、空気を乱すのが怖くて、そんな自分を受け入れてくれないのが怖くて。総括していえば自分が傷つくのが怖くて、そういうことをサボってきたのかもしれない。そして、わたしは勝手に相手のことを想像して勝手に決めてきたのではないだろうか。あぁ今わたしがこんなことをしたから怒ったんだとか、なんか今日冷たい態度だなあ、わたしなんかやったかなあ、こんなことをしたからこの人怒ってるのかなあ、とか。誰でも少しはこういうことを考えると思う。でもそうじゃないかもしれない。そもそも怒っていないかもしれない。なのに相手のことを勝手に想像して、勝手に決めてきたことによって、相手を怒らせてしまった可能性も高い。自分の気持ちを伝える→相手が自分の気持ちを伝えてくれる、ということを繰り返すことでわかったことは、相手が不機嫌になったり怒ったりする原因は、全部が全部自分が原因ではないってこと。

 もちろんたくさん至らない点があるため、自分が周りから色々言われているのは知っている。平気なフリをしているが結構辛い。やっぱりまだまだ自分が傷つくのは怖いし、悩むこともある。それでもとりあえず伝えたいことを伝えて、それで受け入れてもらえなかったらそれはそれでいいや、とこの1年で思えるようになった。やれることはやって、どう解釈するかはもう相手側の自由だし、それよりも自分の好きなことや趣味に時間を費やしたい。こういった自分の趣味や好きなことの存在はすごく大きい。辛くても支えになった。

 「空気は読むものじゃなくて空気は吸って吐くものだ」。昨年ドラマにもなった『凪のお暇』の言葉。空気を読もう読もうとして全然いつもうまくいかなかったから、どうやったら自分自身が気持ちいい空気を吸って吐けるようになるのかを考えている。「嫌な空気ぶっつぶして自分貫いてやるんだから!」みたいな強い気持ちはないけれど、「空気清浄機?なくても大丈夫、自分で綺麗にできますから」ぐらいには少しずつなっていっている。それはちゃんと言葉にして伝えてきた結果が少しずつだけど表れているのではないか。良いことだと自分では思っている。

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話をもとにもどす。冒頭で書いたマラソン選手の彼の足裏は最初、きっと傷だらけで、血だって滲んでいただろう。でも今、彼の足裏は分厚くなっているんじゃないかと思う。彼は傷とか関係なく、どんな事情があれ、走りつづけたいという気持ちをもって走ることを選択してきたはずだ。足裏はきっと強くなっている。

2020年。大きな目標はないけれど、2019年以上に自分の「〜したい」や、「〜をやりたい」という気持ちを大事にして、嫌なことも自分なりに工夫しながら居心地よく生活をできるようにしたいと思う。趣味にもよりいっそう励んでいきたい。自分が傷つくことを考えるよりも、今の自分はそうしたい。

…とか考えながら2020年のしいたけ占いを読んだらこんなことが書いてあった。

自分を守ろうとするから傷つく。そして、自分の評価を気にしてしまうからミスとか「できなかったこと」のほうに目がいってしまう。攻めてください。この上半期はぜひ、攻めてみてください。
「今やんないでいつやるの?」と、ちょっとだけ爆音をとどろかせるヤンキー精神を取り戻して、「欲しいものは手に入れる。それが私」とちゃんと恥ずかしいことも言ってみて、それで攻めていくこと!「私の人生が始まっていく」
そういう台詞も言ってみて。ちゃんと結果を出していくから! いい人生を

まさにこういう精神で2020年をはだしで走りたい。

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言葉にするというところでは、noteの存在はとても大きかったし練習にもなった。わたしは話すよりも書く方が頭の中の整理もできるし、伝えやすい。今、書くのがとても楽しい。noteという自由な場所があってよかった。今年もマイペースに記事を書いていきたいと思う。

遅くなりましたがあけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。








 


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ありがとうございます。文章書きつづけます。