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春、まるごと苺を、まるごと味わった

今年の春、綺麗な桜を無事に拝めたこと以外に良かったことは、念願の「まるごと苺」を味わえたことだ。


以前noterさんに教えてもらって、ずっと気になっていた商品だったので、3月上旬、商品をコンビニで見つけたときは、「おお」と思った。


この「おお」は、教えてもらってからもうそんな季節になったのか、早いなぁという気持ちと、期間限定スイーツが不意に目に入ってびっくりした気持ちと、入り混じっていた。


何せ、「まるごとバナナ」でさえ 、すぐに売れるからかお目にかかることが少ない。出会えたらラッキー、少しでも食べたい気持ちがあるのなら、すぐに買うべし。そんな商品なのだ。


なぜそんなことを思うようになったのか。


実は一度即売り切れで、なかなか悔しい思いをしたことがあるからである。


その日、たまたまスーパーでまるごとバナナを鎮座しているのを見たわたしは、一瞬手を伸ばしたが、「こんなに食べられるかな」とか、「家にいっぱいお菓子まだあったな」とか、さまざまに勝手な事情を頭で作りあげ、ひっこめてしまったのだ。


そのあとお会計をしたのに、家へ帰る道中でも、まるごとバナナのことを考えていた。



あぁやっぱり買えばよかった。


食べたくなってきた自分にうそがつけず、そのままスーパーにUターン。チャリンコを走らせて、まるごとバナナが鎮座していたスイーツコーナーに行ったけれど、もうなくなっていた。


いつまでも あると思うな まるごとバナナ。


即興でこんな句を作ってしまって以降、まるごとバナナには気をつけていた。

いたにも関わらず、だ。


 ☆

コンビニで「おお」と思って、まぼろしのまるごと苺を手にしようとした瞬間、左からバッと白い手が伸びて、サッと持っていかれたのだ。


おお?!


おもわず横を見ると、金髪で巻き髪の若くて綺麗なお姉さんが、美味しいんだよねー、とお友達とおしゃべりしながらまるごと苺を手に、レジに行ってしまった。


春一番 まるごと苺は 美人のもの

また一句詠んでしまった。



それにしても、どうして苺というのはあんなにかわいいのだろう。


アイドルが「好きなものは?」と聞かれたとき、「いちごですっ(キャピ)」というのは結構お決まりの文句だし、めちゃくちゃ強面の人が「好きなものはいちごです」というと、そのギャップにちょっと萌える。


いちごのような女の子になりたい。
それか、マカロン。


そしたら、好きな人にも振り向いてもらえるし、モテてちやほやされるんじゃないか。


10代の頃、苺を食べるときに、チラッっとそんなことを思った時期もあったが、自分の地味な根暗な容姿と性格で、こんなことを思っているなんて、自分でも馬鹿馬鹿しくて嘲笑ものだった。


似合うもの、そうでないもの。

そんなことは周りと比べられたりして、否が応でも分別がついてくる年代だったが、人から好かれたい気持ちは100倍ぐらいあった。


そう、ずっと好かれたかった。

友人にも先生にも両親にも、もうありとあらゆる人から好かれる人物になりたかった。


 ⭐︎

なんとなくそのあともしらみつぶしにコンビニをうろついて、約3日。
ひとつだけ、まるごと苺を見つけた。

おおおお…!


今度はサッととって、レジに並んだ。


さっそくキャンディのようになっている包みをあけると、ふわっふわのスポンジ生地が。
そしてなんといっても、たまらないのが、両端の生地からはみでた、生クリームである。


包丁で両端と、苺が入ってそうなところ見極めて一緒に切り落とし、わざわざスプーンで生クリームをすくって食べる。


ああ、たまらん。
生クリーム。
苺。
春。
何これ。
最高。
幸せ。

そのままハッシュタグにつけられそうな言葉がポンポン思い浮かぶ。このまま投稿してしまいそうな勢いだ。


 ☆



「わたし、いちごそんなに好きじゃないんだよね」
「なんかね、このブツブツが気持ち悪くて、見た目がさ」


そんなハッシュタグのなかに、突如、高校時代に交わした言葉がポン、ときた。


ああ、高校時代、確かにこんなことを言っている子がいた。


一時的に席が隣になっただけの関係の、名前も思い出せないあの子。


その時だけ仲良くなって、あと席替えしたらなんとなく離れていってしまったあの子。

髪の毛はロングヘアだったような気がする。



その時は「ふうん、そうなん」とだけ答えたけど、ずっと自分のなかで「かわいい」「好かれる」の代名詞の苺が、さらりと「好きじゃない」と否定され、ああやっぱり皆に好かれるとか、そんなことはないし、無理なんだと思った。



それで当たり前だけど、さらりと苺を否定した彼女をもちろん嫌いになることはなかったし、苺を否定した彼女を「かっこいい」なんて思うこともなかったし、席が隣の時は話すと本当に楽しくて、面白くて、ただそのままの彼女が好きだった。


ただそのままを、好きになる。


色々知恵がついた身分になると、これがいかに難しいことか。


計画とか、計算とか、似合う似合わないとか、「好き」だけではやっていけないこともたくさん知っているから、そういった諸々を優先させてしまう。



それが決して悪いのではなく、どうしてもそうせざるを得ないこともあって、寧ろそうした良い方がいい時もあるということもわかっているけれど、それが時々誰のためなんだろう、とわからなくなる時もある。



それに抗わずに淡々と受け入れ、自分の中で良い形で消化していくことが、成長につながることなのだろうか。


それとも、それを知りながら、「好き」を貫く生き方が、成長につながることなのだろうか。


いずれにしろ、成長することは厳しいものだなぁと甘いものを口に頬張りながら考えてしまったのだが、要は自分にとって、苦しくない生き方を見つけていくのが大事なのかもしれない。


少々の堕落や欠落があっても、「ただ、そのまま」「まるごと」を知っていれば。


受け入れることが、できれば。


あとは甘いもので補填して、なんとかやっていけるはずだ。


 ☆


その後、「まるごと苺」3日かけて食べた。
なくなる時はやっぱり悲しかった。

期間限定商品なので、もうコンビニにも売っていない。


桜はすっかり散って、青々と葉が茂っている。


それでも桜の木は桜の木で、青い空と緑のコントラストが、とても清々しく感じられる日が続いている。

気持ちいい。

…よし、今から「まるごとバナナ」、買いに行ってくるわ。

なんて、我ながらゲンキンな女であるが、切り替えは時に前に進むために必要なものである。


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