拝啓 summer
忘れられないポストカードがある。
どこでそれをもらってきたのかは、覚えていない。多分お洒落なカフェかダイニングバーに置いていて、且つ「ご自由にお取りください」なんて書いていたから、何も考えずにもらってきたのだと思う。
そのポストカードには、写真展の開催日時と、京都・鴨川を背景に、体操服を着た女の子が走っている写真がプリントされていた。
女の子は小学校高学年ぐらいだろうか。青く高い空の下、赤白帽をかぶり、緑がおいおいと茂る中、河川敷を全力で走っている。いきいきして、きらきらして、生きているってこういうことよ、というのがとても伝わってくる写真だった。
夏といえば、このポストカードだった。
特に大学生というモラトリアム期間中、手帳に挟んで眺めたり、晴れた日に大学のキャンパスの緑を眺めたりして、ぼーっとポストカードのことを考えていた。
けれど、さらさら流れる日々に押されて、ポストカードの存在も薄くなり、そのうち働き出して、夏といっても夏休みなんか全然とれないし、とったらとったでなんか嫌な顔されて気を使うし、ああそういえば夏だなあ、暑いからコンビニでアイスでも買って食べるか、ぐらいにしか思わなくなって、ポストカードのことなんてすっかり忘れていた。
今年。連日真夏日のような暑さが続いて、久しぶりにポストカードの存在を思い出して、ぼーっと眺めたくなった。
カードに閉じ込められた鴨川と、全速力で駆け抜ける女の子が見たくなったのだ。
ごそごそと家中を探したけど、見つからない。ならば実家にあるだろうと探したけど、やっぱり見つからなかった。引っ越しの時に間違って放してしまったのだろうか。
忘れられないポストカード、と冒頭で書きながら、あのポストカードは今手元になく、どこかへ行ってしまった。
モデルになった写真の女の子は、今どこで何をしているのだろうか。まさかまだ体操服のまま、鴨川を駆け抜けているわけがない。写っていたのは、後ろ姿だったから、顔もわからない。
わかっている、それはただ君の一部分で、その世界のままで時は止まらない、ということぐらい。
いつ撮られた写真かはわからない。けれど、あれから約10年ぐらいは経っていると思う。
あの時小学校高学年だったら、今現在20代前半ぐらいだろうか。まさにいきいきと、そしてきらきらと、若葉が生い茂るように、あふれんばかりの生命力で、人生を駆けている最中かもしれない。
今は聞くことのできない、その息づかい。そのかわりに、新しい息づかいを想像している。
生きることに夢中になっていたら、忘れているかもしれないけれど、あの時体操服で全速力で駆けたときのこと、忘れないでくれていたらなあ、と思う。そして疲れたら、古都・鴨川でのんびりしたらいいんじゃないか、とも思う。そういう場所は、時に必要だ。
ポストカードはどこかに行ってしまった。
多分こういうのって、見つけようとしたら、見つからない。だからもう、探すのはやめた。大丈夫、こうやって記憶のなかに残っているのだから。
きらびやかな夏を過ごすのは今年も難しそうだけれど、つつましやかに育む夏ならもってこい。それはまた新らしい道をつくり、掛橋ともなる予感がする。
さあもうすぐだ、でもかき氷もアイスも、食べすぎないように気をつけようか。
外は灰色の雲が空を覆っているが、気持ちだけは夏に向けて走り出している。
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