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待ち人をぶち猫と待つ

「ねえ、どこから来たの」
「おうちはどこなの」

地元の駅に降り立って耳からイヤホンを外すと、ソバージュのおばさんが、猫撫で声で猫に話しかけていた。

直前に本降りの雨がザアザア降っていて、それが束の間上がったばかりだった。

足元には水たまりができていて、真っ暗な空が薄気味悪くうつっている。おばさんはまるで、邪悪な世界の底から出てきた魔女のようだった。


その白黒のぶち猫は、赤いポストの下でまるまっていた。直前まで降っていた大雨をそこでしのいでいたのだろう。

おばさんに色々話しかけられても、全く知らんぷりしていた。目も合わせようとしない。あくびなんかしちゃったりして、目を細めていた。

ソバージュのおばさんは猫に反応がないとわかると、はあ、とため息をついて、さっさと行ってしまった。ちょっと怒っているみたいだった。

わたしはそろそろとその白と黒のぶち猫に近づいてみた。

かなり大きい。ビッグサイズだ。一般的な猫よりも一回り大きくて、太っている。そしてなんだかとてもふてぶてしい。

彼か彼女かはわからないが、これは「かわいい」といわれる部類のやつではないな、と思った。

かわいげがないのだ。

近づいてきたわたしを見て、ぶち猫は「今度は誰だ、なんだお前は」みたいな顔でわたしのほうを見たけれど、すぐにそっぽを向いた。

けれど、嫌な感じがしない。その媚びない、「勝手にしやがれ、どうでもいいよお前なんか」いう感じがよかった。

ねえ、きみはどこからきたの。

わたしは待ち人を、この猫と一緒に待つことにした。

そのうち雨がパラパラ降ってきたので、傘をさした。猫は相変わらずポストの下にまるまったまんま、じっとしている。

この感じ、なんかに似ているな、と思ったらそうだ、トトロだ。

雨の中、さつきがメイをおぶって、傘を差し出しながらトトロと一緒にバスが来るのを待つ。さつきとメイは、お父さんを。トトロは、ネコバスを。

「貸してあげる」とさつきはトトロにお父さんの傘を差し出し、トトロは嬉しそうに雨のしずくを楽しむシーン。あのシーンがとても好きだった。


ここでネコバスとか来たら面白いのにな、と思ったけれど、ブチ猫に「そんなことあるかいな」と笑われそうだった。

本当にそんなことあるわけないのに、この歳になってもいつも夢みたいなことを考えてしまう。自分に都合いい夢を。バカだよね、と笑ってしまう。

雨は徐々に強くなっていった。

雨は容赦なく、傘に雨音を叩きつける。頭にまでひびく、その音がちょっとこわい。待ち人はまだ来ない。わたしは不安になった。

赤いポストの下にまるまっているぶち猫は、雨がひどく降ろうが降らまいが、特に様子は変わらなかった。静かに何かを受け止めているようで、その様子は孤高だった。


強いなあ、羨ましい、と思ったのは、過去の自分を思い出していたからかもしれない。


過去の自分は今よりもずっとずっと、大人の顔をうかがいながら生きていた。大人の顔をうかがいながら自分を押し殺して媚びて、とにかくいい顔をして生きていた。何もとりえがなく、容姿も悪い、全然何をやってもダメな自分は、そういうふうに生きるしかなかった。最悪だった。

「卑怯だ」

と、そんなわたしにある同級生は言った。同級生は全て見抜いているみたいだった。黙るしかなかった。やっぱり自分は卑怯者だと思った。


ずっとずっと、それが心に残っている。特に何か新しいことをしようと一歩踏み出そうとするときや、お世辞とわかっていながら誰かにお褒めの言葉をいただいたとき。うれしくて舞い上がりそうになったら、いつも「卑怯者」と達筆な字で書かれた貼り紙が、バン、と目の前にあらわれる。「自信をもて」と言われても、いつもその貼り紙に怯えている。

猫はまた、あくびをした。

わからないけれど、じわっとちょっと泣きそうになった。

そのうちまた雨が小降りになった。

「もうすぐつくよー!」と待ち人からLINEがきてから、本当にすぐにきた。

猫はまだ退屈そうに、赤いポストの下でまるまっている。しばらくここにいるらしい。

次の日、前日の雨が嘘のように晴れていた。青空が眩しくて、目に痛い。

赤いポストの下に、ぶち猫はもういなかった。

今度は身ひとつでどこへ行ったのだろう。
何があっても、我が道を行く。
それは苦しいことのほうが多いかもしれない。
けれど、行きたいところへ行けない不自由さと、どちらが苦しいのだろうか。

「そんなもん知るかいな」
きっとぶち猫は今日もそんな顔で、どこかにいるのだろう。

一緒に待ってくれて、ありがとう。



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