見出し画像

吾輩、ただの事務職である

「ただの事務のくせに」

と、ある専門職の女性に言われたことがある。

もう何年も前の話だ。

当時、わたしは同じ業界の同じ事務職に転職したばかりで、前の職場では、それを事務側が専門職に確認するのが当たり前だったし、ここの職場でもどうやらそのようだったので、当然のようにこれでよかったのかどうかを聞くと、そう言われた。

「ただの事務のくせに、なんでそんなこと気にするの」と。

様々な専門職の人と関わって仕事をすることが多いのだけど、彼らは時に、クセが強い。けれども、それだけ自分の仕事にプライドを持ってやっているのだなあというのが伝わってくるもので、お客さんのことを考えての、当然の厳しさだったし、お客さんのことを考えずにした行動に、怒られることはあっても、こんな風に言われたことがなかったので、そのときはとても驚いたし、腹も立った。

しかし、彼女の言う通り、わたしはただの事務だったので、そのまま俯いて黙ってしまった。


結局、「ただの事務」が確認し、専門職が「そんなこと」と判断したものは、「そんなこと」ですまされない、やはり後々重要だったもので、また必要な書類などをお客さんに書いてもらったり、提出しなければならなくて、なかなか処理が大変だったし、相手方にも迷惑をかけてしまった。

 ◇

ついこの前、駅のホームの階段を掃除している清掃員さんがいた。彼は、清掃会社の名前が書かれた、水色のユニフォームと帽子を被り、ゴミを黙々と、ほうきとちりとりを使って、とっていた。

すると、
「よう!」と元気な声が聞こえた。
ひとりの大柄なおじいさんだった。

「よう!いつもありがとうな、綺麗にしてくれてな!」
と、おじいさんは彼に言っていた。

下を向いていた彼の顔が、初めてちゃんと見えた。彼は、ちょっと顔がほころんでいたように思う。二言三言、おじいさんと会話を交わして、また自分の仕事に戻っていった。
おじいさんは颯爽と去っていった。


ほんの一瞬の出来事だったけど、「はたらく」とはこういうことなんじゃないか、と思った。

 ◇

わたしはただの事務職で、ただの人。
彼はただの清掃員さんで、ただの人。
おじいさんはただのおじいさんで、ただの人。

世の中は「すごい人」がつくってまわしているのではない。ただの人が、アイディアを出して、作って、また次の人につなげて…。そうやって、ただの人たちが、一生懸命にまわしているのだと思う。

究極、みんな「ただの人」なのだ。

 ◇

わたしの仕事は、いずれAIがどんどん導入されて、なくなっていくだろう。すでに、その兆候はある。AIは優秀で、正確で、人間みたいに失敗しないから、良いのだそうだ。けれども、AIは本当の意味で、「はたらけない」のではないか、とも思う。


生活のためと、行けばお金がもらえるという95%の理由で、わたしは今日もコピーをとり、電卓を叩き、書類を作り、時々正当にも理不尽にも怒られている。

残りの5%は、不意打ちに誰かに「ありがとう」と言われることがあって、それはまれに起こる、嬉しい嬉しい奇跡である。

色々理由をつけているが、わたしはその5%のために、働いているのかもしれない。

裏を返せば、誰かの5%に、自分もなれるということだろう。いや、なる。

ありがとうございます。文章書きつづけます。