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資本主義社会の限界 〜ビジネスの未来〜

読書とは新しい情報を仕入れるための手段ではなく、自分自身の頭の中にある情報を整理するための手段だと思っている。

今回の本はこちら。

この本は目新しいことはないが、自分の中で霧散していた考え方が「資本主義の崩壊」を軸に綺麗にまとめられている。感動した。
自分自身の今後の考え方を振り返る時や、迷いが生じたときにここに戻ってこよう。本著の冒頭にサマリが書かれているのでわざわざ纏めたいことは無いが、自分の中の簡単な備忘録として以下記す。

ビジネスはその歴史的使命をすでに終えているのでは無いか

衝撃的な問いである。
人間は豊かな社会を目指し、「社会の負」を解決するために「仕事」を行っている。
ご飯を炊くために釜を使って炊くのが手間だったので炊飯器ができ、
遠方の人と会話をするために電話ができ、
顧客の管理を体系立てて行うためにCRMができた。
故に「社会の負」があって初めて「ビジネス」は成り立つものである。

50年前は問題が多かったが、現代は問題が少ない。

これは歓迎すべき事象だ。だって不自由しないのだもの。
しかし、「成長率が鈍化している」と危機感を煽り、意味もなく「経済的成長」を促しているのが今の世界である。
僕らはより良い世界を創るために仕事をしているのに、良い世界には仕事がないことによって苦しめられている。なんて皮肉なのだ。そのためGDPという生産性を評価する指標に躍らされ、劣っているように感じてしまう。

豊かさは、微分(成長率)ではなく、積分(今までの積み上げ)で考えるべきである。
科学的にあり得ないことを信じることを「信仰」と言います。つまり「成長・成長」とひたすらに叫ぶ人たちというのは。これを一種の宗教として信じている、ということです。(本著引用)

資本主義社会での解決できる負の限界

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上図(経済合理性限界曲線)は問題の難易度/普遍性(対象ターゲットの数)に対してプロットしてある。
資本主義社会である以上、コストとの採算性が重要視されるため様々な課題に対しても解決の優先順位がつけられる。

一番先に手をつけられる問題は、普遍性が高く/難易度が低いもの(右下)である。ここが一番儲かり、すぐに始められるものである。
その後に普遍性が低いもの(右下)難易度は高く/普遍性が高いもの(右上)が実行される。

しかし、コスト上採算の合わない難易度の高いもの(上、宇宙開発など)や、普遍性が低い問題(左上、希少疾病)は資本主義社会の中では取り組まれない。
所詮資本主義で解決できるのは曲線の中だけなのである。

問題が少ない世の中と表現したが、厳密にいうと「資本主義社会の中で解決される問題は少ない」になる。
まだまだ問題はあるが、資本主義では限界があるのだ。

じゃあどうすればいい?

人間的衝動(好奇心/使命感)が枠外の問題を解決する

宇宙兄弟をNetflixで観ていた時も思ったが、登場人物は社会的使命を持って宇宙を志している人もいるが一番大きな興味関心は「まだ未踏の宇宙を知りたい」という人間の興味、好奇心がコアである。(日々人のように)

進撃の巨人で人間が壁の外に興味を持つのは巨人の脅威から身を守る、というだけでなく、「壁の外がどうなっているのかを知りたい」という好奇心が原動力になっている(エルヴィンのように)

人間には生きる、という最低限のことを営むだけでなく何かに対して強く好奇心を駆られ、満たすことで悦びを得る。
また、「誰かを助けたい」という尊い使命感によって採算性が合わないことに対してもアクションができる。

介護職が採算性(給与等)が見合わなくても志す人がいるように
アーティスト(作家/歌手)が成功の確率が低くても頑張るように

この「資本主義社会の枠の外」の考え方が今後の世の中を変えていき、人生に彩りを持たせるのかもしれない。

この考えに則っている仕事が「活動」である。

労働/仕事/活動

・労働:生存するための食糧や日用品を得る
・仕事:快適に生きるインフラを作る
・活動:健全な社会の建設運営に携わる

上記のように仕事は分類される。そして問題が希少化した世の中において「労働」「仕事」はなくなりつつあり、「活動」の役割しか残されていない。

これは資本(お金)に対しての喜びだけで仕事に取り組むことの限界を示している。
雑談でよく出てくる「宝くじで3億当たったら仕事しますか?」の問いと似ている。
そしてYoutuberや企業家が仕事を遊びと捉えている感覚とも似ている。

お金ってなんだろう

お金とは「人からの感謝の返礼品」のようなものである。
元々は人の施しに対しての等価交換として何かを施していた。例えば以下のような感じで。

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それが世の中の負を解消するためにより効率的に仕事が行われることによって、共通概念である「お金」が生まれた。例えば以下のような感じ。

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このこと自体は悪いことでは無い。分業が生まれ、より多くの人が幸せになるシステムなのだから。ただ一方で仕事の本質である「社会の負を無くす」であり、「誰かに喜んでもらう」という考えは徐々に希薄化していっている。

お金は「感謝ポイント」であって富を象徴するものでは無い。無尽蔵に富を獲得することに何の価値があるのだろうか。そう考えると無意味にお金稼ぎをする行為は何の意味もなさ無い。著書ではこれを「奢侈(しゃし)」と呼んでおり、他者との比較における優位性を示す記号的な「お金」に対して警鐘を鳴らしている。

僕らは何のためにお金を稼いでいるのだろう。見栄か?評価指標としてのものか?

お金は能力の対価ではない

少し話が逸れるが能力はお金で測ることはできない。
企業に勤めている場合、給与の決定はその人の能力に応じて決定するものではなく、勤め先のビジネスモデルに依存するものになる。
故に給料が高いと能力が高いわけでは無い。能力の誇示としてお金は機能しない。

人間的衝動を見つけるために「とにかくやる」

人間性に根ざした衝動に素直に従い、心を動かして仕事をする。ワクワクする。そしてその衝動に身を任せ、合理的ではないが解決すべき負に向き合う。

そしてこの衝動を見つけるためには「とにかくやる」ことが重要である。まずは行動、そして自分の感情に素直に耳を傾ける。

まとめると

過去ほど問題が多くなく、成長が難しい現代
→「労働」「仕事」は不要になり、「活動」がメインに
→「活動」を通じて「経済合理性限界曲線」の外側の問題を解消する
→「活動」の根元は「人間的衝動」。この「衝動」に素直に生きることが鍵。
→「人間的衝動」を呼び起こすためにとにかく行動する。
過去ほど問題が多くなく、成長が難しい現代
→無限の成長がない中で資本主義の継続は厳しい
→そもそも人は富を望む必要はあるのか
→奢侈は人間を腐らせる。必要以上の富は自分を誇示するためのツールに過ぎない(金≠能力)
→お金は感謝のポイント。自分の感謝するものに対して贈与をすることで意味をなす。「他者性」「時間性」のあるものに投資しよう。

ざっくりいうとこんな感じ。この本を通じて「資本主義の成り立ち(過去の成長期〜現代)」「仕事の本質」「お金とは」「人生の向き合い方」を再確認できた。何回も読もう。

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