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モラトリアムの部屋

隣の市でひとり暮らしを始めたのは、大学4年生になった春のことだ。

高校生の時から「大学は通いで行ける場所で」と言い聞かせられていたから、実家から出られるなんて社会人になってからの話だと思っていた。それが県外進学予定だった弟が、県内へと予定が変わり。それなら自分が家を出てもいいのでは…とダメ元で親と交渉してみたところ、存外にあっさりとOKが出た。夢のひとり暮らしが、現実の物となった。

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はじめて借りたあの部屋は、いかにも学生が住みそうな小さなワンルームで。しかし建物に囲まれている割には陽当たりが良く、キッチンや洗濯機置き場などの生活感のあるものは全て扉ひとつで隠れる…という造りが気に入っていた。さらに家から3分も歩けば、そこには別の大学に進学した小学校からの友人が住んでいて。おかげでこの1年間は、大学の友達以上に彼女と過ごしたのではないかと思う。

彼女とは、友人と言うよりもはや身内に近いような距離感だった。

お互いの家に入り浸って、それぞれの服やメイク道具で遊んでみたり、共に買い物に出かけて色々な具材を仕込んだ餃子を作ってみたり、一緒に鍋をつついたり、ただベッドに寝そべってだらだらとお喋りをした。
住んでいた場所は割合に街中だったから、自転車で色々な場所にも行った。美味しいと言われるラーメン屋の食べ比べに出向いたり、思い立って夜中にソフトクリームを食べに行ったり、近所の川縁で花見をしたり、行きつけのカフェを作ってそこで一緒にダーツを教えてもらったりした。それから、あれこれ写真を撮っては見せ合った。

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暗い所で、全然シャッタースピードが足りなくて、ぶれぶれの下手くそな写真。それでも、まだ出始めたばかりの一般向けのコンデジは楽しい玩具だった。その頃に撮った彼女の写真は、今でもまだこうして残っていて。眺めると、あの家で過ごした1年間が今でも手の届く場所にあるような気持ちになる。

デジタルだけでなく、フィルムでも沢山撮った。

それぞれの実家から古いカメラを調達してきて、写真が趣味のカフェの常連さんにフィルムの装填方法を教えてもらったり。露出計が壊れていて手動で全てを設定する必要があったので、ネットで使い方を調べて基礎的な知識を頭に詰め込んだりした。

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全てをマニュアルで操作するというのは大変だったけれど、カメラ任せでは得られない楽しさがあった。プログラムモードで撮っていたコンデジよりも、ずっとずっと面白かった。この時、このカメラに出会っていなかったら。きっと今の自分はいなかっただろう。別の仕事、別の人生を歩んでいたはずだ。

少し話が逸れてしまった。

あの家では、大学の友人や、カフェで新しく出来た飲み友達を呼んでの宅飲みなんかもよくしたけれど…1番共に過ごしたのは、きっと彼女だ。たった3日会わないだけでも、「ひさしぶり~!」と言い合っていた。まるで小学生の頃のように互いの家を行き来して、でも小学生には出来ないような遊び方で卒業までの日々を過ごした。

あれからいくつもの家を移り住んだ。それぞれに思い出と、深い愛着がある。それでもはじめて借りたあの部屋だけは、今でも特別な輝きを放って記憶の棚に並んでいる。実家から離れ自由を得て、しかし社会にはまだ出ていない…そんなモラトリアム時代の象徴のような。二度と手に入らない日々と学生時代最後の思い出が詰まった部屋。

今の自分の原点が生まれたあの部屋のことは、きっとこの先も忘れない。


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広島で、大人から子供まで人物の出張撮影をしています。自然な情景を、その時間を…切り取って残したスナップ写真は、お客様だけでなく自分にとっても宝物。何かありましたら、ぜひどうぞ!

ユルリラム
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