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最近考えていること

みなさんこんばんは。悠來です。

考えるのが嫌になる、そんなことを以前noteに書きましたが、考えるだけではなくてそれを文章にしようと思って始めたのがこのnoteだったことを思い出しました。

というわけで、今回はわたしが悶々と考えていることを書いてみようと思います。

人との関わりについて

わたしは、周囲の人の気持ちを想像せず、考えずに、気にせずに発言、行動できる人ってすごいなと思います。
すごい?すごいというと抽象的ですね。自信があって羨ましい、何にも縛られずに生きて羨ましい、という嫉妬でしょうか。矛盾しているかもしれませんが、わたしはそういう風には生きたくないのですよ。

そんな人いるわけない、自分にはわからないだけで、多少なりとも周りの人のことを考えて生きているよって思うでしょう。わたしもそう思っていました。でも、いたんです。自ら、宣言してきた人がいるんです。

わたしはとても驚きました。自分が良ければそれでいい、周りの人がその言動で不快に、不満に思っているかなんてどうでもいいという人が。いるんです。

何のために、他人の気持ちを想像するのか

じゃあわたしは何のために「周囲の人がどう思うか」を考えているのか、考えてみました。

まず、友好関係を築きたいから。
その場において、特にグループで行動していたり、チームで何かをするとき、信頼関係やその場の空気を壊してしまっては、とても居心地が悪い。ギスギスした空気が、一番嫌いです。どんなに技術がある、成果のでるグループだとしても、空気感が嫌いだと、帰りたくなります。行きたくないです。まわりの人がそう思っていなくても、わたしがかき乱すようなことはしたくない。絶対後悔して夜な夜な反省会するので。

そして、自分に自信がないから。
だれにも頼らずに、だれの反応も気にせずに、自分の思ったままに発言したり行動できる自信がない。自分の言葉で、何かが決まってしまうのがこわい。自分の考えや行動に自信がない。周囲の人の反応を気にして、今のはたぶん間違っていたんだ、不快にさせたな、次はこうしなきゃ、と反省をします。


こういうことを考えて考えて生きることを辛いと思うこともあります。
だから、周囲の人なんて気にしない。考えない。というポリシーで生きている人はちょっとうらやましかったりする。
でも、そんな生き方はしたくないなって思う。

わたしは周りの人たちのおかげで今、勉強ができていて、助けられて生きている。そんな周りの人たちに迷惑をかけるようなことをしたくない。自分勝手な人になりたくない。

そういう、理想像?が違うんだと思います。きっと、その人にはその人なりの理想があって、そういう言動になっているのだと思う。


特別な存在になりたいと思わなくなった


以前、こんな記事を書きました。

だれかの、特別な、大切な存在になりたいと思っていました。誰か1人でもいいから、わたしのことを大切だと、生きていていいんだと認めてほしかった。

そんな人現れないなという絶望もありますが(笑)、わたしは追いかける方が好きだと言うことに気がつきました。そして、誰かが追いかけてくれる、ということに不安を感じ始めました。

だいすきな推しのことが特に当てはまりますが、わたしは好きになったらとことんすきです。自分の中でそういう推しのイメージが出来上がっているので、自分のことを好きになってくれるとか、自分に好意があると気づいた時とか、付き合うことを考えた時に、「解釈違い」だと思ってしまうことに気づきました。
わたしの方が絶対に好きだし、絶対同じ好きの大きさになれないし、とにかくわたしは重いし、その人のことをずっと気にして生きていかないといけないなんて無理。推しは好きなときに好きでいればいいのですから。

よくわからなくなってきましたが、わたしには一途に推す、というのが1番合っているみたい、ということ。報われないよそんなのとか言われますが、わたしの「報われる」は、輝いている推しを観られること。今日も素敵だなと思えることが、いちばんの幸せです。


明日は月曜日。
人に会いたくないのですが、会わなければなりません。
しかたないね、でも生きていれば推しに会えるので。

おやすみなさい、気楽に、生きていきましょ。

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