これからの常識?教育は、与えられる時代から選ぶ時代へ
「休校措置」
2020年、コロナの影響により世界は大きな変革を迫られた。その中でも莫大なインパクトを残したのが全国一斉臨時休校の要請だろう。
学校という場所がなくなった瞬間、教育の機会は一瞬にして奪われた。初めて、日本の教育の脆さが露呈することとなった。
このままでは、ダメだ!教育の機会を途絶えさせてはいけない!
と教育関係者たちは動き出し、オンライン教育をおし進めていくこととなる。
コロナは恐ろしいもので、決して受け入れられるものだはないが、ある意味コロナのおかげで、停滞していた日本の教育に火をつけてくれた!ともいえる2020年だった。
しかし、ボクはこの動きになんだか違和感を感じていた。
学校で学べないなら、その機会を補うためにオンラインを!という声が大きすぎる。
つまり、学校というオフラインの場所が戻ってきたら、そこまでオンラインは必要ないよね・・・。
という匂いを感じるのだ。
ボクはそうではないと考えている。
コロナ以前、学校が健全だった時から、すでに、教育の機会を奪われている子どもたちは18万人もいることを忘れてはいけないのだ。潜在的な数も含めれば、もっともっといるだろう。
また、学校には通えてはいるけど、学校教育のシステムに合わずに学びを得られていない子も数多くいるのが現実だ。
先日、ボクはこんなツイートをした↓
そう、オンラインが本当に必要な理由は
学校の代替措置のためではなく
教育の選択肢を増やすため
なのだ。
ボクは、学校が通常営業に戻ったら、また、不登校の子たちを見捨ててしまうのではないか・・・という危機感を感じている。
つまり、根本の考え方を変えなければいけないのだ。
学校という場所以外にも教育の機会を!
という考え方が必要なのだ。
グローバル化し、価値観が多様化している現代において、公教育の選択肢が「一条校として認められた学校」しかないというのは、ビュッフェに来ておいて、米以外食うな!というくらいおかしな話なのだと思う。
先ほども申し上げたように、不登校児が18万人にまで膨れ上がっている現状が、もう答えを出してくれている。
このままではダメなのだ!と
公教育意外にも、モンテッソーリ、イエナ、サドベリー、シュタイナー、フレネ、ドルトンなどなど、多彩な教育が世の中には溢れている。
ボクも、2020年には、イエナプラン、サドベリー、フリースクール様々な教育を見学させてもらった。
コロナの影響もあり、実際に子どもが学ぶ姿を直で見ることができないことが多かったが、そこに流れる空気感というものを肌で感じることができた。
モンテッソーリ校に務める友人からもいろいろな話を聞いている。
その上で感じることは
✔︎絶対に、このような教育を求めている親御さんや子どもは多いだろうな。
✔︎情報が少なく、ただ知らないだけなんだろうな。
ということだ。
また、上述したようにオンラインが普及したことで、ホームスクーリングの可能性も広がってきている。
なぜ、国は、公教育以外の教育を「教育の場」として認めず、教育の選択肢として広めようとしないのだろうか。
教育の質の確保、平等性、均質性、などという陳腐化した言葉を今更叫んだところで閑古鳥が鳴くだけだろう。
最低でも、一つの教育の選択肢として支援していく必要があるのではないだろうか。
オルタナティブスクールに通いたいのに、金銭的に苦しくて選択できないご家庭がたくさんあるのが現状だ・・・。
ホームスクーリングしたいのに、不登校と呼ばれてしまうのが現実だ・・・。
「こんな教育もあるよ」
「誰でも選べるよ」
という時代になったならば、幸せに教育を受けられる人は必ず増えるだろう。
今こそ、勇気を出して「エイ!」と教育を転換していくチャンスだ!
ビュッフェのように、たくさんの選択肢の中から、子どもに合う教育を主体的に選択できる世の中になることを願っている。
以上、ガクせんでした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
良い一日を!
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