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うつ病を患った私について

2022年11月28日 21:26

今回は私自身のことについて書いていきたいと思います。
うつ病にかかったのは2021年の春頃です。
その頃の初診の判断名は適応障害でした。ですが次第にうつ病へと発展していってしましました。

幼少期の頃から書いていきたいと思います。
小学生の頃いじめに遭いそこから希死念慮が生まれるようになりました。
希死念慮(死にたい・消えたいと思う気持ち)
小学6年生の頃には半年ほど不登校になってしまいました。😭

そこから中学の頃はお友達もうまくできずできたと思っても途中で仲間外れにされたりしていました。ですが部活動で入った吹奏楽部が楽しくて大好きで学校には通い続けれました。
部活がなかったと思うとまた不登校になっていたと思います・・・。

高校生の頃は安定してお友達もいて楽しい3年間を過ごすことができました。自主活動にも励んで楽しかったです😆

その後は調理師の専門学校に通いました。1年間は頑張れたのですが、2年目からはついていけずに実習のみ通わなくなってしまいました。
今思うと両親にはとても申し訳ないことをしたと思っております。
高い学費を払って下さったのに。ですが無事卒業はできました。
これは担任の先生のおかげです。
当時の担任の先生にも感謝しかないです。

卒業後内定していた会社がありました。内定者のアルバイトで潰れてしまい、そのまま内定辞退をしました。背中を押してくれたのは両親でした。
「迷惑が掛かる前に内定辞退しな」という感じで言ってくださいました。
その後は「大学に行ったと思って2年間好きなことをして自分のやりたいことをしな。」と言ってくださいました。

その後はアパレル店員や学生時代のバイト先のお蕎麦屋さんに戻って働いたりほかの飲食店で働いたり掛け持ちバイトでまた潰れたりしていました。
今思うと元々適応障害等になりやすい体質だったのかなと思います。

フリーターになってからワーホリのことを知りワーホリのためにアルバイトを頑張りました。潰れてもまた頑張れたのはワーホリに行く!という思いがあったからです。

帰国後は工場で働きましたが、時給制でして、残業して稼ぐという感じでした。半年は寮費が半額だったので何とか生活できましたが、半年以降は全額支払いということで金銭面的にキツくて退職してしまいました。

その後はアパレル点に就職しました。
ここで2年間働いたのですが適応障害になってしまい、1年休職して戻れなさそうだったので退職させて頂きました。

休職中は地獄のようでした。毎日動けず心配で希死念慮もひどかったです。
退職してからも同様でした。傷病手当金を申請していたので金銭面では多少の安心はありましたが、退職日にはこれからどうすればいいのかわからずに大号泣したのは忘れられません・・・。(笑)

今は傷病手当金の受給期間も終わってしまい、これからどうしようかという不安しかありません。主治医の先生は働けると言っていますが、私的にはすごく不安で求人サイト見てもしんどくなるだけなので最近はあまり見ないようにしています。。。

今は英語学習に力おを入れています。彼氏がいるアメリカに渡米するのが夢なので頑張っています。
次回はなぜ私が英語を勉強するようになったのか、休職中でもありなぜ彼氏ができたのか等、アメリカ渡米に向けてのお話をしていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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