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【「天子南面す」ってな~に??】ゆるく楽しむ日曜地質学:2023年5月14日号

5月も半ばに差しかかりましたが、仙台市はまだまだ肌寒い日が多いです。
杉花粉はさすがになくなったようですが、何かの雑草の花粉は少し飛んでるらしく、たまにクシャミが止まらなくなります(笑)

ただ今「日本の歴史と地形・地質」では「金ヶ崎の退き口」をテーマに執筆中ですが、京都の古地図を見て気になることがありました。
今回は、それについてのお話です。

京都の地図を見よう

ではまず、当時の京の都の地図を見てみましょう。

山城国絵地図:国立公文書館アーカイブより

当時の京都御所の場所を確認するため、上の古地図を見ました。
しかし御所二条城伏見城との位置関係がおかしいんです。

山城国絵地図 拡大図:国立公文書館アーカイブより

拡大しました。
白い四角が3つあります。
一番下の四角には「禁裏」と書いてあります。すなわち天皇陛下の御所ですね。その右上が「二条城」
一番上の四角には「伏見」と書いてあります。つまり伏見城

知っている人は、すぐに「おかしい」と気づくでしょう。

京都周辺の地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

スーパー地形で確認しましょう。
赤が京都御所。
青が二条城。
緑が伏見城です。

そう。上下が逆なんです!

そういう目で最初の古地図に戻って、隣接国名を見ると、右下が丹波(たんば)で左が近江(おうみ:現在の滋賀県。本来は京都の東)・・
やっぱり上下(南北)が逆でした!

これは「天子南面す」という言葉からきているらしいです。
中国古来の考えが由来のようで「君子は北を背にして南を向いて政務を執行する」という決まりがあったとのこと。

これまでも古地図をいくつか見ましたが、南が上になってるのは山城国だけですので、やはり「天子南面す」を意識してのものなのでしょうね。

現在の住所でも「左京区」が東「右京区」が西にあるのは、天皇陛下(京都御所)から見ての左右だからだそうです。

👇参考サイト

勉強になりました。

今週の予告

今週は金曜の投稿を目指して執筆予定です。
もしかしたら土曜日になるかもしれません。

〇5/19 金曜日:日本の歴史と地形・地質
「行き」の行軍ルートを考察②:「金ヶ崎の退き口」を地形・地質的観点で見るpart1【合戦場の地形&地質vol.3-2】
※タイトル変更の可能性あり


では、今週もよろしくお願いいたします。



今回はここまで。

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