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流路をつくったのは誰だ?(石神井川のヒミツとさらに背後に潜むナゾを追う!!part2):東京都中央部平地~中山間地域【流域を考える旅vol.5】

東京都を流れる石神井川の流路変遷の謎を追ううちに、谷地形をつくった張本人が別らしい!というさらなるナゾが浮かび上がりました。
果たして武蔵野台地の谷地形をつくったのは?

武蔵野台地の奇妙なところ

武蔵野台地の奇妙なところは、中を流れる河川の大半の源流が台地内にあることです。
そしてこれは学術論文(角田2015)でも指摘されていました。
この論文では「山から水が流入していない」と、言い方は逆ですが同じ意味ですよね。以下に引用します。

武蔵野台地は,周辺を河川や低地に囲まれた台地で,周辺の山地から台地内に流入する河川はまったく無い

では地形図を見てみましょう。

武蔵野台地外周

スーパー地形(カシミール3D)より抜粋した画像をもとに筆者作成。
なおカシミール3Dは元データとして国土地理院の「電子国土」を使っているそうです(出典:国土地理院ウェブサイト
※トップ画像や以下の地形・地図画像すべて引用もとは同じです。

赤点線が武蔵野台地のおおまかな範囲です。
接している周囲の地形の範囲を青線で示し、①~⑥の番号をつけました。

:山がちな地形ですが面積は小さく標高も高くありません。狭山丘陵(さやまきゅうりょう)と呼ばれることから分かるように、山地ではなく丘陵地の扱いです。
:荒川沿いの標高の低い平野。
:海増の低い平野。
:多摩川沿いの一段低い平坦地。
:入間川沿いの一段低い平坦地。
:低い山地

この中で考えるとだけが少し気になりますね。アップで見てみましょう。

⑥画像のみ

南西に見える川が多摩川で、そこから北東に広がってる平坦地が武蔵野台地です。

⑥河川入り

図示してみました。
赤線が分水嶺。南に降った雨は武蔵野台地方面へ、北は逆方面へ流れます。
そうなんです。この山地に降った雨のほとんどは武蔵野台地方面に流れません。そればかりか、分水嶺の南側の川(霞川)は結局、北の入間川と合流してしまいます。
つまり、山地の水は武蔵野台地には全く流れて来ないんです。


流路をつくった川は?

つまり武蔵野台地内を流れる河川の水は、武蔵野台地内に降った雨の分だけです。よって水量は多くはありません。
そのため浸食力が弱く、直径10cmより大きい礫(石ころ)で構成される礫層は浸食されずに残っているそうです。

武蔵野台地をつくっている礫層は扇状地堆積物です。

多摩川扇状地

赤点線に囲まれた範囲が扇状地。堆積物を運んだのは太古の多摩川です。
時代によって流れる場所を変えつつ、土砂(砂・泥・礫)を運びました。
つまり武蔵野台地内に今見えている谷のほとんどは、古多摩川(こたまがわ)がつくった流路だったと考えられます!(久保、1988より)


火山灰の役割

そして立役者(?)は多摩川だけではありませんでした。

多摩川が流れてできた流路は、どこかの時点で多摩川本体が流れなくなります。その後、小川が流れるだけでは浸食は進まず谷は深くなりません
そして大雨のたびに小川が氾濫したりするうちに、いずれは流路の壁が浸食され、もとのカタチは残らないでしょう。

でも、そうならなかった。なぜ?
その立役者が火山灰だったらしいのです。

武蔵野台地には約8万年前以降、断続的に火山灰が降り積もります。
富士山箱根山から噴出した火山灰です。
俗にいう、関東ローム層という地層ですね。

火山灰が谷形成にどう関わったか?
久保(1988)の図(谷形成モデル)を引用しながらお話しします。

谷形成モデル①

:右側が旧多摩川の河道、左の一段低い川が移動した古多摩川。
(凡例:1.火山灰、2.礫層)

谷形成モデル②

:火山灰が降っても、小川の範囲は火山灰を流すので残らず、高さはそのまま。でも小川は水量が少なく氾濫しにくいので、周囲には灰が降り積もり高くなる。
一方、古多摩川(左)は水量が多く頻繁に氾濫するので周囲の火山灰も流される

谷形成モデル③

③:古多摩川(一番左)はまた低い場所に移動して段丘が3段できる。
残った2段目の流路は小川になったため、それ以降の周囲の火山灰を流せなくなる。
結果として高い流路ほど古く、小川になってからの歴史が長いほど周囲の火山灰層が厚く谷が深くなる。

つまり、川が浸食して谷を深くしたのではなく、川が流れていない場所に火山灰がたまって高くなった
その結果、古多摩川が残した谷の形状がクッキリ残ったらしいのです。

いかがでしたか?
東京の谷地形にこんな生い立ちのヒミツがあったとは!私自身、「なるほど!面白い!」と楽しみながら論文を読めました。

お読みいただき、ありがとうございました。


参考文献

角田清美(2015)武蔵野台地の河川と水環境.駒澤地理,No.51,pp.35~58.

久保純子(1988)相模野台地・武蔵野台地を刻む谷の地形ー風成テフラを供給された名残川の谷地形ー.地理学評論,61(Ser. A)-1,pp.25~48.

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