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宮城県沖地震体験記part1【地質番外編vol.13-1】

「宮城県沖地震」はご存知でしょうか?
この言葉そのものは、宮城県沖を震源とする地震の全てを総称する言葉ですが、今回は1978年に起こった宮城県沖地震の体験記です。

1978年宮城県沖地震

宮城県沖地震は平均37.1年の間隔で起こると言われており(2005年にも発生)、1978年の地震マグニチュード7.4最大震度5(旧基準)の地震でした。

この当時、私は6歳になる年だったので幼稚園の年長だったのですね。
詳しいことは覚えていないのですが、断片的な記憶をたどって書いてみようと思います。

ちなみに全体的な被害を想像していただくためにウィキペディアの一文を引用します。

この地震では、ライフライン等が停止し都市生活が麻痺した。これは、50万人以上の大都市(当時旧仙台市は人口およそ65万人)が経験した初めての都市型地震災害であるとも言われている。(ウィキペディアより)

またこの地震を契機に建築基準法が改正されたということからも、世間に与えるインパクトの大きい大災害だったと想像できます。

これについてはあじさいさんが詳しく書いていますので、ご参照ください。


そのとき!

地震が発生したのは17時12分
このとき私は、母親と幼馴染達といっしょに近所のスーパーへ買い物に行っていました(※母親同士仲良くなり、幼馴染になったパターン)。

今はあるのか分かりませんが、当時は100円を入れると動く(その場で揺れるだけ)乗り物がよくありました(同年代の人は分かると思いますが)。
そのスーパーにも駐車場の隅に何台か置いてあり、その「消防車」でよく遊んでいました。100円を入れることもなく、ジャングルジム代わりに上に登ったりなどして遊んでいたんですよね。今思うとひどいな(;^_^A

その日も「僕たち、ここで遊んでる!」と、母とおばさんだけ店内へ。
私と妹、幼馴染の女の子2人で遊んでいました。

いつものように消防車の上に登っていると、ユラユラ揺れ始め・・・。
「あれ?誰か100円入れたのかな?」と下を覗いてみましたが、誰もいません。
その瞬間、妹と幼馴染が「地震だ!」と叫び、2人とも消防車の屋根からサッと飛び降りました!!いつもそんなことできないのに!!

いつも飛び降りてた私は、逆にこの時は恐怖で飛び降りれない(;^_^A
「まって~!!」と叫びましたが、女子2人は全く振り返ることもなく、駐車場の真ん中へ走り去っていきました・・・。

あの後ろ姿は一生忘れません(笑)
女の子って強い。そして冷たい。と幼心にも痛感した瞬間でした(笑)

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冷酷な後ろ姿・・(笑)(いらすとやより)


私も無事に何とか降りて2人と合流し、間もなくすると、店内からドヤドヤと人々が避難してきました。
母とおばさんがこちらへ来ると、おばさんが「あれ〇〇は?(幼馴染の妹の方)」と。
「地震の前に『お母さんのとこ行く』と店に入っていったよ」と言うと、その場でおばさんが泣き崩れてしまい・・。

幸い、すぐに警備員に連れられて無事が確認できましたが、おばさんがそうなってしまうくらい、店内が大変なことになってたのだろうと、幼稚園児ながらもびっくりした記憶があります。


家に帰ると・・・

その後家に帰ると、大変なことになっていました(;^_^A
家具と言う家具は全て倒れ、片付けで大変だったハズなのですが、全く覚えていません(笑)
電気も使えなかったハズで、かろうじて、ロウソクの明かりで過ごしたような記憶はあるのですが、その晩、何を食べたかなども記憶にないです。

でも断片的に色々と覚えていることもありますので、それについては次回、お話ししようと思います。

以上、お読みいただきありがとうございました。

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