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宮城県沖地震体験記part2【地質番外編vol.13-2】

1978年に起こった宮城県沖地震。この地震がキッカケで建築基準法が改正されるほどの災害でした。
当時、幼稚園児だった私は母らと近所への買い物で外出時に地震に遭遇。すぐに帰宅してみると、家の中が大変なことに・・・(;^_^A

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ぐっちゃぐちゃ

一言で言えばそんな感じでした。
玄関では靴やら何やらが散乱していて、驚きの光景が・・・。

当時、玄関にはちょっとした下駄箱が置いてありました。
幼稚園児の背丈くらいでしょうか?記憶は定かではありませんが。
そしてその上に鷲の置物が飾ってありました。金属製の重い置物です。
その下駄箱が倒れ、なんとその背面に鷲の片足が突き刺さっていたんです!

幼稚園児ながらビックリしました!
だってそれって、下駄箱が倒れた瞬間、一瞬でも鷲は空中に浮いていたって事ですよね??そうじゃないと背面には突き刺さらない。
それだけ揺れが激しく、下駄箱の転倒スピードが速かったのでしょう。


丈夫なテーブル

居間へ入ると、ほぼ全ての家具が倒れていました。
そしてそれらは居間の真ん中のテーブルに倒れ込んでいましたが、テーブルは全くのノーダメージ!!
かなり頑丈なテーブルだったようで、親からは「もし子供だけの時に地震になったら、このテーブルの下に逃げなさい」と言われていました。

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これよりもっと足が短く太いテーブルでした(いらすとやより)

今は多くの世帯で突っ張り棒などで家具を固定しているでしょうが、中身が落ちて来たり何かしら危険があるかも知れませんよね。
特に小さなお子さんがいる場合は、背が低めで足が太目な頑丈なテーブルがあれば、そこへ潜るよう話しておくのも良いかもしれません。


給水車など

もう1つ強烈な記憶は、水道から茶色い水が出てきたことです。
そして給水車が来たということで、瓶を持って行った記憶がちょっとだけあります。

またお向かいさんのブロック塀が崩れていたのも覚えています。
この宮城県沖地震ではブロック塀の中に鉄筋を通さない「手抜き工事」がいたるところで発覚して、頻繁にニュースで報じられていました。

今でも古い家のブロック塀には、もしかしたら危険なものもあるかも知れません。外で地震に遭遇した時はなるべく塀から離れるのが良いでしょう。


防災教育が活かされた?

今になって思うと、幼稚園児なのにとっさの判断で広場の真ん中へ逃げるなんて、良くできたなぁと感じました。
幼稚園で避難訓練をしてたのか?などは全く記憶はないのですが、普段から、親や先生などから言われていたのだろうと思います。
そうじゃなければ、5~6歳の子供が一瞬でそんな行動できないですよね。

日頃から「地震がきたら、こうしなさい」と言い聞かせるのは大切なのだと思いました。


後の東日本大震災と比べたら、決してそこまで大きな地震ではなかったのでしょうが、都市がまだまだ地震に対して脆弱だった時代のことです。
建築基準法の改正を含め、これをきっかけに日本の建築物をはじめ、都市全体が地震に強くなりました。
それでもまだまだ課題は多いでしょうが、まずは身近なところへ目を配り、検証していくことが大切なのだと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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