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失われた天空の村?:「金ヶ崎の退き口」を地形・地質的観点で見るpart4【合戦場の地形&地質vol.3-4】

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・明智光秀など「戦国オールスター」が絶体絶命の大ピンチに陥った「金ヶ崎の退き口」
前回は北近江から若狭国へ抜ける2ルートのうち、琵琶湖北西部から北西へ抜けるルート(前半)を見ました。👇

今回は北西ルートの後半で近江国若狭国の境界付近から佐柿国吉城までのルートをたどります。

百瀬川源頭部から若狭国へ

続きを見る前に、百瀬川のおさらいです。

近江国絵地図(北西部)に筆者一部加筆:国立公文書館アーカイブより

上図で赤丸で示した「蛭口村」の手前(南)を流れているのが百瀬川(ももせがわ)です。
古地図では、青色で描かれている川の先端部(図黒丸)を源頭部として描いています。
これに対して・・

高島市周辺地形図(国土地理院地形図):スーパー地形画像に筆者一部加筆

前回は上図の水色を古地図で描かれている源頭部と考えていましたが、支流(上図青線)の源頭部だと考える方が辻褄が合いそうです。

現在の登山道を当時の街道と想定しています。
この赤矢印終点部から先は、北へ進路を変えつつ、いよいよ若狭国へ立ち入ることになります。
拡大してみましょう。

高島市周辺地形図(国土地理院地形図)②:スーパー地形より抜粋

真ん中付近を通る一点鎖線が現在の県境で、ここが分水嶺になっています。でもハッキリした山ではないですよね。
しかも谷幅が広くて平坦地が広めです。
本来であれば、この谷沿いに集落があり街道が通っていそうですが、そうなっていません。
これは、この谷に至るまでの周辺地形が急峻だからでしょう。

しかし現在は土木技術が発達したためか、道路が通っていました。

高島市周辺地質図(国土地理院地形図):スーパー地形より抜粋

地質図を見ると、分水嶺のあたりには断層(図中黒太線)が集中しています。そのため、侵食に弱く、ハッキリとした分水嶺ができなかったのでしょう。そして、ここで侵食されて発生した土砂が谷に堆積し、谷幅の広い平坦地ができたと考えられます。

失われた天空の村?

分水嶺を越えた向こう側の谷を北上します。

若狭国絵地図(南東部)に筆者一部加筆:国立公文書館アーカイブより

古地図のほぼ真ん中に川が描かれていますよね。
これが佐柿国吉城の近くを流れる耳川です。
下流(古地図の上)の村は現在も耳川沿いの集落の地名が残っていますので、やはり耳川で間違いないでしょう。

しかし赤丸の村(おそらく粟柄村)だけは、どうしても地名が見つかりませんでした。
しかも位置関係的には、山の上にあるかのように描かれています。

福井県美浜町周辺地形図(国土地理院地形図):スーパー地形画像に筆者一部加筆

耳川との位置関係を考慮して見ると、どうしてもここしかありませんでした。
赤点線で囲った山地は、山頂部付近が非常に緩やかですよね。
しかも現在も道は通っています。

地形を見る限り「かつての地すべりの名残」ではないかと考えられます。
地すべりとしては十分に動ききり、斜面下部が崩れてなくなり、上部の緩斜面だけが残ったのでしょう。
だとすれば、地面は軟らかくて保水力もあるので、人が住んで田畑をつくることができます。

実は四国の山間地域などもそうなのですが、谷がV字で険しい地域は、案外と山頂部付近に集落ができているケースがあります。

もしかしたら、ここも昔は集落だったのかも知れません。

そして佐柿へ

ここまで来れば、あともう少しです。

若狭国絵地図(南東部)に筆者一部加筆:国立公文書館アーカイブより

耳川の東に街道が通っており、各村の名前も現在の地名として残っています。
上図の下から新庄村(黄)、安江村(青)、佐柿村(赤)を現在の地形図で見てみましょう。

福井県美浜町周辺地形図(国土地理院地形図)②:スーパー地形画像に筆者一部加筆

こちらが新庄。
地形を見ると、西の山地から流出した土砂で形成された扇状地の上にできた集落だと考えられます。

福井県美浜町周辺地形図(国土地理院地形図)③:スーパー地形画像に筆者一部加筆

今度は「安江」です。
このあたりは耳川の扇状地になり、広い平坦地のほとんどが水田地帯です。

福井県美浜町周辺地形図(国土地理院地形図)④:スーパー地形画像に筆者一部加筆

そして佐柿(さがき)。
赤丸の北東の「城山」が佐柿国吉城(さがきくによしじょう)の跡地です。
確かに山城ではあるのですが、標高191.1mと低く、上図の矢印のように、四方にある尾根線沿いの山道から取り囲むことができそうです。

さて、次回はいよいよ金ヶ崎城へ向かいます。

お読みいただき、ありがとうございました。


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