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信長を勝利に導いた地形はどのようにしてつくられたのか?:「桶狭間の戦い」の雌雄を決した地形とは?~其の五~【合戦場の地形&地質vol.1'-5】

これまで4回にわたって「桶狭間の戦い」と地形の関係を見てきました。
桶狭間周辺は標高は高くても約50mと、決して高くはないですが、地形が小刻みに凹凸が激しく、急斜面に囲まれた山地が多数です。
そのため、どうしても軍勢を分散させなければならず、それが今川義元を孤立させる原因の1つになりました。
また急斜面に囲まれた山であるがために、山頂から真下の谷間が見えにくく、駆け上がってきた信長軍が「突然現れた」というかたちになり、今川軍を混乱させたと考えられます。
混乱した今川軍は散り散りになり、周囲に点在する池や湿地に追い込まれ、ますます不利な状況に追い込まれたのでしょう。

・小刻みに起伏の多い地形
・山頂は比較的なだらかだけど、急斜面に囲まれた山地
・池や湿地が多い

このような地形的特徴が「桶狭間の戦い」に大きく影響したと考えられます。
ではこのような地形は、どのようにしてつくられたのでしょうか?

桶狭間周辺の地質

地形がつくられる背景には、もちろん地質が関係しています。
まずはもう1度、地質図を見ましょう。

桶狭間周辺の地質図
地質調査所5万分の1地質図幅「名古屋南部」 をもとに筆者一部加筆

薄い緑と濃い緑が広く分布しています。
これらは約500万年前から258万年前の砂や泥、礫(石ころ)の地層です。河川や湖の堆積物だそうです。

また薄茶色の地層が点在してますよね。これはもう少し新しい258万年前から約13万前年前(人類の時代)の河川に堆積したの地層です。

これらの時代は地球の長い歴史の中でも新しい方なので、まだ岩石にまではなっておらず、未固結堆積物と呼ばれています。

地層の分布についてもっと詳しく見ると、上の方が礫で、下にいくほど砂→泥と細かい粒子になるそうです。

上の地質図に「T」の縦棒を短くしたような記号がありますよね。
これは地層の傾き方向を表す記号で、脇に書いてある数字が傾斜角度です。
これを見ると、ほとんどが10度以下で、一部を除いてほぼ水平です。

桶狭間周辺の模式地質断面図:坂本ほか(1986)より

上の断面図を見るとイメージしやすいかと思います。
部分的に撓曲(とうきょく)はありますが、ほぼ水平ですよね。

ちなみに撓曲とは、断層活動の影響で地層が変形する現象を指します。

上の図では、3つの台地の右側の地層が曲がってますよね。これが撓曲です。

桶狭間の地形はなぜできた?

ナルホド!!
これで分かってきました。

なぜ、桶狭間周辺の地形が

・小刻みに起伏の多い地形
・山頂は比較的なだらかだけど、急斜面に囲まれた山地
・池や湿地が多い

なのか?

まず第一に、層理面が「ほぼ水平」なことが要因の1つです。
層理面が水平の場合、層理面に沿ってズレ動いて崩れる「地すべり」や「崖崩れ」が起こりにくいので、水による侵食は、全体的にまんべんなく進みます。
つまり台地の上の平坦面を水が流れ、少しずつ溝ができたり、台地の端っこから少しずつ削れたり・・。

第2に、「上に礫が載っている」のもポイントです。
礫は泥や砂より硬くて侵食されにくいのですが、削れる場合は「礫単位」でポロッと抜け落ち、穴が開きます。
その穴に水が集中するようになり、そこから侵食が進みます。

第3のポイントは下ほど細かくなることです。
礫や砂は目が粗いので割とスキマがあります。ですので雨水が地層中に浸み込みやすい。
そして逆に泥の層では浸み込むことができず、横に広がっていきます。そして端っこの急斜面のところで外に出る。つまり湧き水になります。
実際に桶狭間周辺の地形図を詳しく見るとあちこちに湧き水があるんです。だから池が多いんですね!

そして湧水が出る箇所の地層は、水の影響で弱くなってしまいます。ですので、例えば台風などで大雨が降ったりすると崩れてしまい、谷地形になっていきます。

以上のような要因が重なり、細かく入り組んだ地形ができたと思われます。

イメージしやすいようにマンガを描いてみました。

地形形成過程のイメージ図:筆者作成

こんな感じです。
雨が降って礫層(薄茶)と砂層(黄色)には浸み込みますが、泥層(青)は浸み込まず、横方向へ流れ、湧水になる。

地形形成過程のイメージ図②:筆者作成

そして長い年月の間に湧水周辺が崩れ、えぐれて谷地形になる。
これがアチコチで起これば

・小刻みに起伏の多い地形
・山頂は比較的なだらかだけど、急斜面に囲まれた山地
・池や湿地が多い

といった地形になるとイメージできますよね。

いかがでしたでしょうか?
戦国時代の数ある合戦の中でも有名な「桶狭間の戦い」
この戦いで信長が負けていたら日本の歴史は変わっていたかも知れません。
桶狭間周辺の地形が、その勝因の1つでしょう。

信長が勝てたのは、約500万年前から13万年前の地層のおかげだと考えると、なかなか感慨深いものがありますよね。

最終回、長くなってしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。

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参考文献

坂本 亨・高田康秀・桑原 徹・糸魚川淳二(1986) 名古屋南部地域の地質.地域地質研究報告(5 万分の 1 地質図幅),地質調査所,55p.
水野清秀・小松原琢・脇田浩二・竹内圭史・西岡芳晴・渡辺寧・駒津正夫(2009) 20万分の1地質図幅「名古屋」.産業技術総合研究所地質調査総合センター.
吉田史郎(1990)東海層群の層序と東海湖盆の古地理変遷.地質調査所月報,第41巻第6号,p.303-340,199

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