一流のアイデアの出し方
凶悪犯が増えている
いきなりだけど「凶悪犯罪」というと、どういう犯罪を思い浮かべるだろう?ぼくなどはつい連続殺人やら通り魔のような非常に凶悪なたぐいを思い浮かべてしまうんだけど、警察庁の出している「警察白書」によれば、凶悪犯とは
とされているので、けっこういろんなものがふくまれる。
そしてこの凶悪犯が増加傾向にあるらしくて、同白書によれば2023年は前年からなんと27%増なのだそうだ。
白書によれば年間で5200回も起こっているらしいので、想像していたよりずっと多い。上の定義に従うなら、明日、包丁を持ってコンビニのレジ前に立てば、あなたも立派な凶悪犯なので、よほど手軽だ。
被害に合われた方々がお気の毒なのはいうまでもないが、それにしても
という図式は成り立たない。
凶悪とは?
ちなみに環境庁によれば、全国に存在する「ゴミ屋敷」の実数は2018~22年度の5年間で全国で5224件だそうである。
凶悪犯罪の数とほぼ一致している。ぼくの住んでいる近所でも数年前にゴミ屋敷の悪臭騒ぎがあったけど、凶悪犯もそれくらい身近にあるということもいえるわけで、要するに、
凶悪 ≠ 巨悪
だということを強調したい。
アホ犯が増えている
字面に「凶」という字が使われているのでつい巨悪と混同してしまいそうになるが、凶悪犯の実体は「短絡犯」であり「思慮浅い犯」であり「警察24時犯」であり、いわば「アホ犯」と呼んでもいいものが大半だ。
ほんとうの巨悪というのは、戦争を起こしたり、アウシュビッツを作ったり、世界貿易センタービルを爆破したりするようなことなので、頭がキレて、実行力のある者が、慎重に計画を練らないとやれない。
そして、犯罪は大きければ大きいほど、犯罪とは認識されず、裁かれることもない。逆に言えば、「凶悪犯罪」が増えているということは、悪がはびこっているというより思慮の浅い人が増えているということである。
なぜアホ犯が増えるのか
では、なぜアホ犯が増えているのかというと、IT技術の発達が大きいのではないだろうか。これは陰謀論がもてはやされているのと同じ理由だ。
IT技術の発達を通じて情報量が増えている中、その情報の吸収が偏ってしまった人たちが短絡的な思い込みで生み出すのが陰謀論だとすれば、凶悪犯が増えているのも同じ理由ではないだろうか。
立川風俗嬢刺殺事件
ぼくがこういうことを思うようになったきっかけは、「立川風俗嬢刺殺事件」だった。2021年に当時19歳だった男が、風俗店従業員Aさん(31)を殺害し、別の男性従業員(25)に全治3カ月の怪我を負わせた事件だ。
この被告の答弁が支離滅裂で、裁判官と意思の疎通ができないレベルだったので話題になっていた。
そもそも犯行の動機になったのはマンガ『東京卍リベンジャーズ』だそうで、登場人物がタイムリープするのを見て自分もやれると思ったというアホ犯なのだが、弁護士との答弁もそうとう支離滅裂なのでちょっと引用してみよう。こんな感じである。
他にも、
という感じなので、ちまたでは、はたしてこれが本物の心神喪失なのかそれとも詐病なのかが話題になっていたけど、ぼくの心に残った点は
ということだった。つぶやく単語は小中学生がネットやゲームから仕入れるレベルのものばかりだ。
中学や高校にかよっていれば、いやでもフランス革命だの、大政奉還だの、運動方程式だのといった単語をアタマに入れざるを得ないし、夏休みの読書感想文も『東京卍リベンジャーズ』では書けないので、夏目漱石や芥川龍之介を避けられない。
しかし彼の発言の中には、そういった要素がひとかけらもない。ジャンクフードのような情報だけを食べて育っている感じが透けて見える。
このように、短絡的な凶悪犯罪の背景に、大量で偏った情報があることは、京アニ事件と似ていると思える。
ラノベからラノベを生むのはムリ
青葉被告の“京アニにアイデアを盗まれた”という短絡的な思い込みは、広くて複雑な世界を極度に単純化して捉えている点と、背景に大量で偏った情報がある点が陰謀論者とそっくりだ。
また、かれは「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメに感銘を受けてSFや学園系のライトノベルを書き始めたそうだが、答弁から察せられる範囲では、「ラノベからラノベを生もう」としていたことがうかがえる。
しかし、一般論として言わせてもらうけど、ラノベからラノベを生むのはムリだ。おなじくマンガからマンガを生むのもムリだし、お笑いだけを見てお笑い芸人になろうとしてもムリだし、映画ばかり見ていても映画を撮ることはできない。
同じジャンルの似たような情報ばかり吸収していても、発想は縮小再生産的にしぼんでいく。本当のアイデアとは「新しい血」を入れなければうまれないもので、外部から拾ってくるしかない。
「涼宮ハルヒの憂鬱」の中身は知らないけど、これだけ売れているということはきっと良い作品なのだろう。だとすれば、作者はラノベの外側のいろんなところからアイデアの種を拾ってきているはずで、つまり新しい血をラノベに注いでいるからこそ魅力体な物を作れているはずで、「ラノベからラノベを再生産する」みたいなことはやっていないにちがいない。
アホ犯たちがかん違いしているのが、その点である。
ジャルジャルさんの場合
どの分野でも一流と呼ばれる人たちは、意外なところからアイデアを拾っている。いくつか実例を挙げてみよう。
ぼくはお笑いには詳しくないけど、2018年のM-1決勝戦で見たジャルジャルの笑いには、これまで見たことのない新しさがあった。見た人なら納得してもらえるだろう。
ファイナルで披露した「決めポーズの数を競う」というネタが好きなんだけど、あれはチャップリンの『独裁者』からヒントを得ていると思える。動画がネットに見当たらないので、見た人だけ思い出してもらいたいんだけど、チャップリンの独裁者のこのくだりとちょっと似ている。
ご本人に聞いてみないとホントのところは分からないけど、個人的には「一流の芸人さんは、こんな古い映画まで見てヒントを探しているんだな」と思って感心した。先輩のネタを見ているだけではこんなのは生まれてこない。
たけしさんの場合
次にビートたけしさんの例をとって見よう。
2020年のオリンピック開催地が東京に決まった当時、たけしさんはテレビで「もし、おいらに演出をやらせてくれたらアイデアがあるんだけど・・」と切り出したことがあった。
「国立競技場に巨大なUFOを作って、そこからアスリートがどんどん降りてくる」というのをやったらいいんじゃないか、と言ったのだ。
この演出プランがフェデリコ・フェリーニの『8 1/2』(1962)という映画からヒントを得ているのは明らかで、この作品のラストでは、登場人物たちが、親も兄弟も学校の先生も脚本家も愛人も妻も売春婦も生きている人も死んでいる人も、全員が宇宙ロケットから降りてきて、手をつないで踊りだす。
たけしさんは映画監督なのだから『8 1/2』を見ているのはまあ自然なことだけど、これを映画作りのヒントとしてではなくて、オリンピックの演出に使おうという発想にうなってしまう。一流は、映画から映画を作るのではなくて、映画からオリンピックを作ろうとするのだなと。
これらにかぎらず、ほんとうにおもしろいものって、ジャンルの外側からインスピレーションを拾ってきていることが多く、その広さが作家の世界の広さに通じている。
情報の偏りに気を付けましょう
その意味では、京アニの被告も立川風俗嬢刺殺事件の被告も、一流の真逆をやっていて、ものを見る角度があまりに狭い。
今は狭いジャンルの中に大量の情報があるので、学園アニメだけ見ていても、陰謀論だけ見ていても、ネットポルノだけを見ていても、時間は足りない。そういう時代だからこそ、短絡的なアホ犯罪が発生しやすくなっているんじゃないかな。
ぼくもnoteでは映画ばかり見ているように書いているけど、まあ演出です(笑)。去年暮れからは結構「万葉集」やら「新古今和歌集」に注目していいます。ネタにするつもりではないんですけど、まあ栄養が偏らないようにおたがい気を付けましょうということです。
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