52ヘルツのクジラたち

今年の本屋大賞ということで、町田その子さんの「52ヘルツのクジラたち」を偶然本屋で見つけて購入。新書だけど小説はやはり紙がいい。タイトルにある52Hzのクジラというのは、他の鯨と違う周波数で鳴いていることから、仲間の誰にもその鳴き声をキャッチしてもらえない、世界で一番孤独な鯨だそう。その意味を知っただけですでに号泣(@本屋)

わかりやすい話だな、というのが率直な感想。親に虐待されてきた女性と、リアルタイムで虐待されている少年が出会って…というストーリー。

「助けて」というSOSを周りに発信できない人というのは必ずいる。そもそも本人がその状態を困っている、辛い、ひどい扱いを受けている、ということを認識できていない(=その扱いが当たり前になっているため)のが原因なのだけど、これは本当に怖いことだと思う。

ずるずる沼にハマるように「そこでしか生きられない」と錯覚してしまって、追い詰められて、もう死ぬしかない…という思考になっていく。

側から見たら「そんなところ(人)早く離れよう!改善する努力をしよう!」ってすませてしまうけど、本人はそれに気づ「け」ないからこうなってしまっているので、リアルタイムでその状況の真っ只中にいる人にその指摘をするというのは、マジでナンセンスで想像力なさすぎだと思い知らされる。

余談だけど、周りに自分の不幸話や苦労話を惜しげもなく話せる人とか、自分になんらかの心労を与えてくる人間を敵とみなし、躊躇なく悪態や悪口を吐ける人とか、私こんなに悲しいひどい目にあってるのひどくない!?って周りに憤ったり泣いたりできる人って、マジで強い人間だよなと思う。

周りに働きかけたらきっと自分のために何かが変わる、守ってもらえる、という自信がどこかにあるから、堂々と声をあげられるのだ。例えそれが自分以外の他人を貶し落とし罵倒する言葉であっても。

本当に助けてもらえるか自信がない、いわゆる「弱い人」は、声をあげようとすら思わないし、自分を苦しめる相手を否定する気持ちすらもわかない。基本的に「適応できない自分が悪い」という考え方をする。

ただひたすらにこれが現実なんだって心を殺して受け入れてしまうのは、助けや改善を求めても救われなかった時のショックとか、恐怖とか、自虐(罰)意識とか、孤立感とか、いろんな負の感情がこんがらがって、がんじがらめにされてしまっているから。

声をあげたくてもあげられない、あげたいとすら思えない人の心には、誰からも聞き入れてもらえなかった、無視された、助けてもらえなかった…という経験から積み重ねられてきた「絶望感」が根付いている。

この絶望の淵に立たされている人の「声なき声」をキャッチしてあげられるのは、同じような絶望を経験してきた人だけなのかもしれない。

届けたいのに届けられない、伝わらないという孤独と絶望感を味わったことのある人。

そういうやり場のない悲しみを「わかるよ」って寄り添ってくれる人が周りにたった一人でもいてくれたのなら、救われる人はたくさんいるだろう。

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