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幸せはナルものではなくハマるもの

幸せになるためには何かを達成しないといけないとか、最高のパートナーを見つけなければいけないとか、世界の美しいものを沢山見なければいけないとか、死ぬまでにやりたいことを全部やらないといけないとか、自分の事業を立ち上げて多くの人を幸せにしなければいけないとか、本当の自分を見つけないといけないとか、

まあとにかく色々と煌びやかな「これが幸せな生き方だよ」「これが真実の在り方だよ」「これがカッコイイということさ」というテンプレートのようなものがあるけれど、

それを成し遂げられるのは一体世界の何%の人間なんだろう。


もちろん、そういうことって多くの人ができないからこそ、希少性があって素敵に見える。

多くの人ができないからこそ、代表となって本になる。

多くの人はできないのに、できないからこそ、それを「カッコイイ」「素敵」と思って目指してしまう矛盾。


「あなたもできるよ!だって私だってできたんだから」と成功した人は教えてあげたくなる。

幸せを分け与えたいという気持ちが湧き上がるのは自然で美しい。

でも、「私ができたからあなたもできる」「こうする方法がある」というのは最もらしいけれど、絶対的ではない。

それはあなたであって、私ではないから。


こうすれば、あの誰もができない華やかで特別な「幸せ(ほぼほぼお金がらみ?)」を手に入れられるのね!と飛びついても、実現できる人とできない人がいる。

そして、実現できなかった人は「言い訳をした人」「やり続けなかった人」「思考停止した人」など敗者扱いされ、自分でも「なぜ自分はうまくいかないのだろう」と思い悩む。


いやいや、そもそもその「幸せ」とやらが幻想だったのではないか?


ここ、はたと立ち止まれるだけで、結構生きやすくなると思うのだが。


確かにその華やかに成し遂げた「幸せっぽいもの」は、その人にとって幸せを感じた結果なのだろう。

多くの人はできないし、自分は特別感半端ないし気持ちいい。

人の役に立っている、世界を動かしている感なんてのもあるだろう。


でも、それをやっているその人が、ずーっと途切れることなく安心に満ちていて愛に満ちていて幸せに満ちていて、何一つ不安になることも恐怖を感じることも不完全さを感じることもない、なんてことはない。

「あー、幸せ!」という感情が溢れる瞬間はあるとしても、それが永遠に続いているわけではないから。

それは人間の特性上。

私は永遠に幸せです、私は悩みがなくなりました!という発信をしていても、その「幸せ」は感情のことではないから、その人がイライラしないし不満も感じないという意味ではない。


そう、幸せは感情のことではないと思うんだ。

感情というのはいつも移り変わっていて決して止まることはない。

そして、幸せは形でもない。

「こうなったら幸せです」というのは「こうなったら感情が高揚します、いっとき!」ということであって、それはあくまでもいっときなんだ。

その幸福感は数時間続くかもしれないし、数日続くかもしれないけれど、人は不思議なくらいまた欠乏感を感じ、次の幸福感を見つけるようにできている。

だって、感情は動いているからね、形は変化するからね。


だから、形や感情の幸せを追い求めるのは、もうやめにしないかと私は思うのだ。

すごいことや強烈な感情は、すごい人に任せてもよくないか?

じゃあ何が幸せなの?というと、私は「今にハマる」ことだと思うの。


「今にハマる」というのは、例え今どんな状況にいて、どんな感情が湧いていたとしても、そこにカッチリとハマって、そこから逃げようとしたり、抗ったり否定したりしないで、その状況と感情に寄り添うこと。

寄り添うということは、自分に没入しないで、少し自分の感情と距離を取っていないとならない。

少し距離を取って、でも離れないでしっかりそこにハマるの。


ハマるって、「今私このお菓子にハマっているんだ〜」というように使う言葉だけれど、ハマっている瞬間はそこから逃げようとしていないでしょ?

そこをしっかりと感じ切っているでしょ?

そのような感覚で、今やっていること、今起こっていることの中に、カッチリとハマるようにしていると、高揚感とは違う静かな幸せが見えてくるようになるんだ。


今苦しいならね、苦しいと感じているその中にカッチリとハマってあげる。そこから逃げないで争わないで、しっかりとそこにいる。

今歩いているなら、カッチリと歩くことにハマる。意識を「こうなったらイイのに」「なんでこうじゃないんだ」とよそに逃さないで。

そうやって、今にハマる幸せは、何が起きても何が起こらなくても、あなたから無くならない。


一握りの人だけが得られる高揚感ではなく、誰もが既に得られている「それがある」という感覚。

「あの幸せがない、ない、ない」ではなく、「今ここに感情が、今ここに行動が、今ここに五感がある、ある、ある」と「ある」を感じ続ける幸せ。

いつもあなたに寄り添っている「ある」を感じ続ける幸せ。


その繊細な幸せに気付く人が増えたら、敗者とかダメな人生とかなくなるのにね。

落ち込むこともずっと減ると思うし、落ち込んだとしても、ちゃんとその落ち込むってことと一緒にいてあげられるようになるのにね。


私も人間だから他人と比較しちゃうし、できたら能力の高い人に生まれたかったし、「未来はこうなったらいいのに」とか「なんで自分はこうなんだろう」とか、すぐに今にケチつけたくなるよ。

でもね、そのどんな自分とも、一緒にいられればいいの。

だってこんなにも私には「ある」んだもん。

ないときがないくらい。笑


幸せに「なろう」とはもう思わない。

今にハマることだけ意識しているけどね。


幸せを目指すのをやめて、今にハマると世界の見え方が変わるかもしれない。

もっと優しく生きやすくなるかも。

こういうのも「私がそうだったからあなたもきっと」っていう個人的な意見でしかないから、「これが幸せだから納得して」というわけではないけどね。笑


私は何も望まない。

ううん、本当は望んじゃうや。笑

でも望みは小さく手の届く範囲で、そして、そこにハマってハマってハマってハマるの。

どれだけ私は「今」にハマれるかな。



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