2002年チベットへの旅③完結
ネパールからチベットのラサへ向かう旅。
完結編はもちろんラサです。例のごとく写真中心でいきたいと思います。
4日目ラサに到着
ネパールのカトマンズを出発して3日間。
1日8時間以上悪路移動しているので、体はクタクタで意識もボーっとしています。標高が常に4000mを超えるので、その影響もあるでしょう。
「はぁーもう限界」と思いながら、4日目も朝から悪路に揺られながらスタート。もう意識は朦朧としていて、とにかく早く着いてくれと願うばかり。
そして街に入ったなと感じていたところに飛び込んできたのが、ポタラ宮。ダライラマのお城です。
1959年に中国の侵略により亡命しているので、もちろん君主は不在ですが、チベット仏教の中心的な場所であることには変わりません。
写真で見るとなんてことはないかもしれませんが、ポタラ宮が視界に飛び込んできた瞬間、同じ車に乗っていたみんなが声を上げました。
大きさもそうですが、それぐらい道から見えるポタラ宮の存在感は圧倒的なものでした。
ツアー解散。ラサに2泊。
ラサの中心地でツアーは解散。各々適当なゲストハウス(旅社)に泊まります。
僕は歩き方に載っていた宿にチェックイン(当時のメモによるとバナクショーホテルだった)。疲れていたのでしばらく寝て、ツアーのメンバーと一緒に夕食を取り、そこで本当の意味でのツアー終了。
翌日は午前中にポタラ宮を訪問します。
ダライラマの椅子。
ポタラ宮の壁画。
ポタラ宮の写真はなぜかこれだけでした。熱心な信者の巡礼に圧倒されて、写真を撮る気になれなかったのを覚えているので、カメラをほぼ出さなかったんだろうと思います。
あと僧侶がケータイを持っていたことをすごく記憶しています。
2002年の時点でチャイナモバイルがチベット自治区にも進出していて、荒野を走っていてもドライバーはケータイでやりとりしていました。
そういう状況なのでラサでケータイを見ることは珍しいことではありませんでした。ただポタラ宮の外で、僧侶が袈裟の懐からケータイを出すのを見た時は、ここに僕らがイメージするチベットはないんだなと感じました。
そういった旅行者の想いとは別に、人も街も発展していきます。
ポタラ宮から撮ったラサの街。
ポタラ宮近くの道。
ラサを街ブラ。
パン屋の看板娘さん。
商店にはジャムおじさんが作ったビスケットが並びます。
栄養食品的なものですかね。シュワちゃんのようになれるやつですかね。
ポタラ宮に圧倒された翌日。街の中心にあるジョカンに向かいます。ラサにあるお寺の中で最も重要な場所です。
お寺の周辺にはロウソクを灯す、バターが売られています。
これは、なんでしょう。覚えていません。
お寺の前では五体投地をする信者たちがたくさんいます。
若い僧侶たち。
やはりここでも圧倒されます。
ジョカンはなぜかキッチンに入ることができました。
こうした下ごしらえしている所にも入れます。
寺の周囲にはマニ車。チベットの人にとってジョカンを訪れることは、特別なこと。しっかり身なりを整えた方が多かったです。
ラサという街
ラサ及び、ラサまでの道のりは、自分の記憶の中で特別な存在に位置しているのだけど、それを言語化するのが難しい。
自分の中で見たくなかったものと、想像以上のものが入り混じっているだからだろうか。当時のメモにはこう書かれている。
映画「ナインイヤーズ・イン・チベット」のイメージで訪れたラサには、全くそれに沿った景色はなく、ポタラ宮以外は落胆から始まった。
宿でテレビを点けると、スラムダンクとクレヨンしんちゃんが放映され、街のおもちゃ屋にはドラゴンボールの偽フィギュアが並んでいた。日本製の電化製品に、高速インターネット。
一般人の生活は貧しいものだったけど、情報は外からのもので溢れ、インフラもあった。そういう諸々に落胆した。
それでもラサという街は何か特別な感じだった。
ああ、また不味いラサビールを飲みに行きたい。
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