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記録としての写真 撮らないから記憶していること(2002年ネパール)

旅の写真を整理していて思ったのが、写真って記録だったということ。

しかも限りなく記念に近い記録。

今のように自己表現として写真を撮っているのは限られた人だったし、日常の風景が当たり前ように写真として記録されている人は、お金持ちやカメラ親父を親に持った人ぐらいだったと思います。

かくいう私も子供の頃の写真といえば、入学式と卒業式、運動会と修学旅行など学校行事の大イベントの写真ぐらいしかありません。街のカメラ屋が撮影した写真を、廊下の壁に貼り付けて販売していたアレだけです。

2002年のカメラ事情

僕がネパールを訪れたのが2002年2月。当時もデジカメはありましたが、まだまだ一般的に普及されたとは言い難い状態でした。

当時発売されていたキヤノンのラインナップはこんな感じです。

・フラッグシップ機
EOS-1D
2001年(平成13年)12月
有効センサーサイズ28.7×19.1mm
415万画素 750,000円
https://global.canon/ja/c-museum/product/dslr780.html

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・普及機
EOS D30
2000年(平成12年)10月
22.7×15.1mm
325万画素 358,000円
https://global.canon/ja/c-museum/product/dslr779.html

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・高級コンパクト
PowerShot G2
2001年(平成13年) 9月
1/1.8型 400万画素CCD
115,000円
https://global.canon/ja/c-museum/product/dcc469.html

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普及機が30万円で、325万画素ですよ。庶民が気軽にデジカメが買える時代ではなく、この当時の主流はフィルムカメラ。

Nikon FM3aの発売が2001年7月、Nikon F6が2004年10月、Contax T3が2001年3月です。フィルムカメラの最終期の頃ですね。

そんな時代だったので、僕がするようなバックパッカー旅にカメラを持ってくる人自体が少なかったし、「旅は記憶に残す」みたいな美学が強かった時代でした。

また「荷物が少ない方が偉い」という日本人バックパッカーのヒエラルキーもありました。

それに屈することなく持って行ったカメラはNikonのFM10とフィルム20本。僕としては予算的に精いっぱいの装備でした。

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3ヵ月でフィルム20本 720カット

これが多いのか、少ないのか。
ちなみに1日8回しかシャッターを切ることができません。

もちろんスマホもガラケーもないので、食べたものなんかの日常記録も含めての枚数です。

しかもブレなどを含めた半分以上は失敗写真なので、この旅を振り返る時に見る写真は200枚ほどです。

でも写真を見るという行為に置いては、これぐらいが丁度いいなと思うんです。いやもっと少なくてもいい。

写真を撮ったシーンのこと自体を覚えているし、1枚の写真をきっかけにその時なにをしているのか考えるので、写真を見ながら思い出を回想できるんです。

デジカメで写真を撮りまくった旅もありますが、写真で時系列が繋げてしまいます。なので回想の余地がない。

また見るのに疲れてしまうこともあり、結局あまり見ないんですよね。

2002年のネパール

3ヵ月の内ネパールに居たのは2週間。フィルムは3本ほどしか使っていません。

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カトマンズのタメル地区。

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こういう何屋か分からない人がまだ多かった時代です。

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読める方がいれば、なにか教えてください。

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インド後のネパールの日本食。限られたフィルムでこれを撮っている想いが伝わります。

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チャイ文化に疲れた、コーヒーアディクトである僕の逃げ場。

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ポカラ。レイクサイドの安宿です。

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レイク。

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アンナプルナBCまでトレッキングします。

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ガイドのメグちゃん。

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メグちゃん一服中。巻くのがすごく上手でした。

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トレッキング中の宿。

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ベースキャンプ手前。標高4000メートルにあるホテルです。

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はしゃぐメグちゃん。

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あまりに美人なので写真を撮ってもらった。でもフィルム被りというね。

余白の記憶

メグちゃんとワラビ(蕨)について話したこと。
メグちゃんが白人女性に買われて、めちゃくちゃされた話。
立ち止まる度に雪崩の音がないか確認していたこと。
ストが起こるから3.5日の下山を、1.5日終えたこと。

なんかそういうことを結構細かく思い出せる。

写真のことをあんまり考えないから、その分別のことに記憶のスペースがまわせるんですよね、きっと。少しの記録があればそれで充分かな。

「旅は記憶に残す」

あながち間違ってない気がします。


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