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「なぜ?」と聞くことが”ナゼ”悪い?

「人とコミュニ―ションをする上で、”なぜ?”という言葉を使うことは避けましょう。理由は、その言葉を投げかけられた相手は、コミュニ―ションを断たれたように感じるからです」。ある研修の講師がこう説明した時、私はめまいがした。そしてこう続けた、「例えば、明日の朝4時に会議が設定されました。”なぜ明日の朝4時に会議をするんですか?”と聞く代わりに、”明日の朝4時なんですね?”とか、”誰が参加するのですか?”、または”どんな話をするのですか?”もいいでしょう」と。

別のある会社では、「WhatとHowをいつも分けて考えろ」と言われた。例えば、時差のある国々の社員全員必須参加の会議を実施するなら、どこかに国の社員が、朝4時になるのは仕方ない。そもそもこの会議の目的はなんなのか。果たして、全員必須参加なのか。それを明確にしたら、全員が、その時間に参加でなくていい。録画するので、あとで視聴可能かもしれない。あるいは、一定の管理職だけ参加し、部下にはその参加者から伝えることでもいいかもしれない。もしくは、場合によって、「会議自体をやらない」ということありだ。つまり、自分がやろうとしていること、やっていることのWhat(目的)は何か、「なぜそれをやるのか」を考える。その次に、それを成し遂げるためのHow(手段/方法)は何か、を考えろと。

上司から「いいからやれ」と言われるは多々ある。その上司も、もしかしたら、さらに上の管理職から指示をされ、納得がいっていないけれど、やらざるを得ず、部下に指示しているのかもしれない。だが、悪いことは、上から下へ流れる。つまり、責任転換は、上層部の管理職の指示から、最終的には一般社員、非正規雇用者、委託業者など、Noを言いずらい弱い立場のところに、大きくなってどかっと落ちてくる。

物事の前提は、いつも正しいわけではない。少なくとも、自分が「?」と心に引っかかることは、「なぜですか?」と聞くべきだ、勇気を持って。場合によっては、一人で訴えても覆せない大きな事案もあるだろう。でも、それを共有し、共感を得らえることで、責任の分散や、ミス/リスクの最小化は可能だ、例えどんな立場の人でもできる。

考えに考えた末に、”なぜと聞くな”というこの研修内容は、「部下に反論させないための策略だ」と結論づけ、無視することにした。

追記:ia19200102さんの画像を使わせていただきました。ありがとうございました。


「人生経験の引き出し」がいっぱいあります。何か悩み解決のヒントになる話が提供できるかもしれません。