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何故、混乱の時期に起業し始めちゃったのか。

世界のスタートラインが揃った気がした

こんな事言うと不謹慎かとは思うが、私にとってはこのコロナの時期はチャンスだった。

2019年までは日本はオリンピックに向けて景気が上がっていて、右肩上がりの企業が多く、先に始めたもん勝ちみたいな雰囲気を感じていた。私みたいな経験も知名度もない若者が何か初めても、上の人達に淘汰されてしまいそうだと思っていた。自信がなかったのだ。

だからずっと起業する時期を迷って「やろう!」→「いや、まだ私は出来ない。」の繰り返しだった。そんな中、コロナの状況になって、役割の比で見たら経営者こそ厳しい時期になった。

私は思った。今、だと。

ある経営者さんも言っていたが、「既存の経営者はコロナの影響でマイナスになってる人が多い、それに対して今から起業しようとしてる人は0からのスタートだ。」と。

圧倒的に何メートルも前のスタートラインにいた人たちがちょっとずつ下がってきて、ハンデが短くなってると思った。

それと、今そして今後続くコロナの状況は経済的見ると、例えだか戦後の状況みたいなもので、経済的に焼け野原なところからポツポツと新しい芽が出てくるだろうと思った。

これは歴史上、周期的に来る出来事がちょうど私が起業しようとしてパワーがある、この2020年に来たことがなにか意味があると勝手に思った。ちょっと大袈裟な気もするが。

こういう理由から、私にとって責める時は今だと判断して起業するに至った。

直感(幼少期)

奇妙な話ではあるが、日々なにか考えながら生きている方々には共感してもらえるかもしれない。

私は小さい頃から自分の人生が20歳までしかない気がしていた。だから他の人とは違う意味で成人式が楽しみだった。自分が生きているか、生きていたら20歳より先はどんな人生になるのか。

20歳を迎えた時に分かった。私は周りと同じように普通の人生は送れない。"普通"の人生はここで終わるのだと。私の生き方が我がままなだけなのだが。

なぜ20歳までしか人生がないように思ったかというと、社会人になった自分の姿が想像できなかったからだ。

私は大学進学率99%(1%は専門学校と海外組)の高校に通っていたため、いい大学進学→いい就職をすることが正義だと洗脳されていた。元々は慶應大学のSFCに入り、起業したかったが、金銭面と勉強の気合いが入らずに諦めたので、私の中では結局安定した就職に落ち着くのかなぁ〜と勝手に決めていた。

しかし、自分が約40年間(専業主婦になる気はなかったので)週5.6で毎朝定時に起きて、上司の言うことを聞いて"社会人"として真面目に働けるイメージが全く湧かなかった。高校3年間ですら、満員電車に乗る意味が分からなくて昼から登校してた奴なのだ。

私は人から指示されたものに対して集中力が持たないというなんとも我がまま性格なので、教科書より、理科や社会の資料集が大好きだった。授業中も先生の話そっちのけで資料集を見ていた。

社会の資料集の中で「フレックスタイム制」という働き方が新しい提案としてある、というコラムを見つけ「わー。こういうフレキシブルな働き方だったら私もなんとか社会人として働けそうだなぁ。」

と思ったことを今でも鮮明に覚えている。

そこからは自分では納得してなかったが、親に心配させるのも心苦しかったので地元では名の通る大学に進学した。

しかし、やはり私は自分がやりたいことしか出来ない我がままな人間だった。大学に行く価値を感じられずに2年で辞めてしまう。ちょうど20歳の時だ。自己紹介の記事にも書いたようにここからレールを外れていく。

そう、(学歴上は)優秀だった私はいなくなった。これが小さい頃から感じていた、20歳の壁だったのかと、今まで濃い霧で覆われていた20歳から先の道が見えた気がしてワクワクした。

直感(20歳以降)

20歳、2017年に個人的に経済の勉強をしてた時に、2020年のオリンピックまでが日本の経済のピークでそこから不況になる、という話を聞いた。確かにそれは理解出来た。

しかし、翌年2018年にオリンピックは開催できないという話を聞いた。これはさすがに信じ難かった。これまで戦争以外でオリンピックが開催されなかったことはない。開催出来ないとは信じられなかったが、2020年に何かがある事は何となく感じていた。

2019年は私にとって休養・再生の年だった。思考を巡らす時間も出来て、色んなことをグルグル考えていた。パワーを貯めによく自然に触れに旅行したからか将来の事を考える事も多かった。

そこでなんとなく、来年(2020年)の2月に起業しよう!と思っていた。何故か分からないが、自分の波が追い風がそこらで来ると感じていた。それが仕事に関する波なのかぜんぜん関係ないかは分からなかったが、なんとなーく2020年の春あたりに向けて準備は進めていた。

すると2月後半3月あたりから世の中が変わっていった。ずーっと、バンジージャンプで言うとジャンプ台に立っては、いるのに最後の勇気が出ずにグズグズしている状態だったので、このタイミングも重なり、やっと一歩踏み出した。

命綱が切れない事を祈る。


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