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一年前のわたしへ

こんにちは。

あ、あなたは今日本にいるので、「こんばんは」か。いや、もう寝てるか、午前1時を過ぎているし。

数日前にルワンダからボロボロの状態で帰国して、今はつおくんと愛猫さいと一緒に、すうすうと寝息を立てていることでしょう。

ルワンダではあんなにも寝付けない日々が続き、顔を青白くさせていたのに、帰ったとたん深い深い眠りにつくことができ、随分と安心したことをよく覚えています。

さて、あなたは今、人生で一番と言っても過言ではないほど、元気がありませんね。

心も体もボロボロで、インターネットを遠ざけ、笑顔で送り出してくれた日本の友人たちから隠れるようにして過ごしていますね。

毎日、自分を責め、色々な後悔やこの先の不安に押しつぶされそうになってることかと思います。

とは言え、大切な人がそばにいて、眠ることもできて、美味しいものを食べているので、少しは治癒されているなぁといったところでしょうか。


今でも、どうしてあそこまでなってしまったか、上手に言葉にはできません。もちろん思い当たることはあるけれど、そのどれもが点と点に過ぎず。

だからこそ、戻ることを、すごく恐れていると思います。

「一刻も早く戻りたいけれど、原因を解決することができないから、また繰り返してしまうかもしれない」

先のことを考えれば考えるほど、体の中に、重く黒い煙のようなものが渦巻き、消えてしまいたくなっていたことを記憶しています。


だけれど、もっと怖いのは、戻れなくなること、ですね。

ずっと夢見ていた、アフリカで協力隊。

遠回りをしつつ追い続け、声高々と宣言し、周囲の人からたくさん応援されていました。

SNSでは、ユニークな生活の様子や人々の写真をアップして、「アフリカ楽しんでるね!」「いつもすごいね、尊敬する!」などと言ってもらえて。

それなのに、急に帰国して、「協力隊もうできません。仕事探します」なんて。

周りの人たちに対してもそうだし、何より自分自身に申し訳なくて、情けなくて、悔しくて。


そんなあなたに、良いことを教えてさしあげましょう。

耳の穴かっぽじって、よーくお聞きなさい。

ルワンダに、ニャムガリに戻ってからの1年は、素晴らしいものになります。

あなたは今から2ヶ月後に、帰任することを決めますが、その判断は大正解となります。


キガリの空港に着くと、にぎやかな仲間たちが、横断幕を持って出迎えてくれます。

戻ってから1か月後、あなたに向いている活動が次々と舞い込んできます。

2か月後、キレヘに新しい仲間がやってきて、とても良い友となります。

3か月後、それはそれはたくさんの友達から、誕生日を祝ってもらえます。そして、ガーナから最高の3人がやってきます。

4か月後、つおくんがたくさんのお土産と共に、会いに来ます。

5か月後、石戸と大塚が、これまたたくさんのお土産と共に、やってきます。

6か月後、現職の同期隊員たちの帰国に、寂しい思いをしますが、同時に出会えたことと、みんなの無事を喜びます。

7か月後、8か月後、あなたの活動はぐんっと進展します。


そして9か月後、あなたは、お母さんと、再会します。

とても信じられないでしょうけど、ルワンダの、キガリの空港で再会します。

おそらく数日前、朝の横浜駅でお母さんと再会し、忙しなく行き交う人ごみの中、吸い寄せられるように抱きついたことかと思います。

それより前にお母さんに抱きついたのなんて、きっと6歳とかじゃないでしょうか。

だけど、その時は何のためらいもなく、すがるように、抱きついたでしょう。何ならお母さんのほうから腕が伸びていたような気もします。ここは曖昧ですが。

その11か月後、再び抱きつくことになります。

今度はすがるようにではなく、ジャンピング・ハグです。これまた、実際にジャンプしてたかどうかは微妙なところですが、とにかく、嬉しみの、ワクワクの、エキサイティッドなハッピー・ハグ☆です。

その後、キリンの群れを見たり、ニャムガリを歩いたり、愉快な仲間たちと酒を酌み交わしたりするので、お楽しみに。


ごめんなさい、一つだけ、悲しいニュースがあります。

本帰国をしても、ジャスティには、「ただいま」を言うことができません。

だからあの時、再会できていてよかったなと思います。

彼のつややかな体に触れることはもうできないけれど、その代わりに、お母さんをルワンダに連れてきてくれました。



さて、1年後、今の私です。

1年後のあなたは、この家で、再び、泣いています。

ちょうどあなたが少し前、調整員さんに「助けてください」と電話しながら大泣きしていた、この椅子に座って。

最終報告に使う写真を選びながら、泣いています。

写真の中で大笑いする愛おしい人々と、別れることが寂しくて。

夕日に照らされて輝くバナナの木と赤土のコントラストを、見れなくなることが切なくて。

そう、ニャムガリを離れることを悲しんで、泣いているのです。



この2年間を一言で表すのであれば、「波乱万丈」でした。

正直辛いことや苦しいことの方が多かったし、もう一度やれと言われたら、できない。

だけど、あなたが戻ってきてからの1年間は、楽しいことや、嬉しいこと、自分を褒めてあげられることの方が多かった。それは間違いなく言えること。

今、もちろん、帰りたいと思っています。帰りたくて帰りたくて仕方ない!

でもそれは、逃げ出したいわけではなく、やりきったから、お家に帰りたい、次のステージに進みたいという、前向きな帰りたさなのです。


一度、死んでしまったあなたは、ちょっとずつ回復して、2か月後に息を吹き返します。

心が壊れたことで狭くなっていた視野は徐々に広がっていき、自分を俯瞰して見れるようになり、地の底まで落ちた自己肯定感を取り戻します。


この2年間で、必ずしも、「やりたいこと」が「向いてること」ではないと知りました。

募り過ぎた思いは、過度な期待と責任感につながり、現実とのギャップに打ちのめされる。

貧しい子どもたちへの強すぎる同情は、怒りや絶望につながり、どうしようもない無力感に襲われる。

私は多分、限りなく草の根レベルの、泥臭い国際協力が好きだけど、向いていなかったようです。


それに気づけていないあなたは、今とてもつらいでしょう。

だけど、大丈夫。

日本で自分と向き合ううちに、自分に何が向いていて、できるのか、段々とわかってきます。

栄養失調の子どもたちを見て、がむしゃらに立ち向かおうとして無力さに嘆くより、彼らの楽しい遊び相手になることが、あなたのできる最大のサポートであるということ。

無理矢理に要請内容に沿おうとして、配属先に腹を立てるよりも、自分を必要としてくれる人たちに、得意なことを教えたほうが、貢献できること。

そして最後の1年間、あなたは自分らしく生きて、朝が来ることが、楽しみになります。

「私たちのユリ」と、地元の人たちに愛される存在になります。


さ、わたしも、最高の笑顔で成田に降り立てるように、あと1ヵ月、できる限り頑張ってみます。

あなたを失望させないように。

日本は地獄のように暑い事かと思いますが、どうぞお体に気を付けて。


最後に、わたしの好きな、ジョンレノンの名言でも添えておきましょう。

あなたもすでに知ってることと思いますが。

"Everything will be okay in the end. If it's not okay, it's not the end."
「最後には全て上手くいくよ。もし上手くいってないのなら、それは最後じゃないってこと。」

John Lennon

敬具


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