職人さんの魔法に
慌ただしくも長かった夏が過ぎ去って、すっかり金木犀も散ってしまった。今日はひたすらゆっくり過ごして、夜はのんびり一人で秋を楽しもうと、おつまみを作りながら気を抜いてビールを啜っていたときのこと。
カラカラカラ…
自分しか居ないはずの肌寒い部屋の中で変な音がする。ピシャリと表情がこわばる。恐る恐る部屋中を点検するも何もおかしなところはない。最後にトイレをそっと開けると、犯人はいた。
水だ!水が、流れ続けている!大変だ!
銀の細長い手洗い管から一生水が流れ続けているのだ。お化けじゃなくてよかったけれど、これは困った。いつか家が水没する。
大急ぎで頼れる職人さんに連絡すると、幸いなことにすぐ来てくれた。
「こんばんは〜、前もこのパターンあったんだけど多分あれがダメになっちゃったんだよ、ほれやっぱり。部品がねまだ一つあるから〜」
なんて話しながら、職人さんは一瞬でトイレ前に作業する空間を作り出し、ブルーシートをばっと広げて、大量のネジやらドライバーやらニッパーを並べる。いつもの部屋に魔法がかかるようだ。
「ここも結構古いからね〜、ネジが錆びちゃってるよ、ちょっと最終兵器もってくるね。あっ手鏡ある?」
どこからともなく恐竜の化石みたいに強そうな工具を持ち出して、鏡を使って見えないパイプをグルグル回す。新しい部品をポコっとはめ込んで、全てのものを正しい場所に戻し、あっという間にいつものトイレが戻ってきた。
すると「よし、こっからが大変なんだ」と言って、職人さんは静かにトイレの前に正座をした。
ガチャっと洗浄ハンドルを回す。
ジャーっと管から出る水を、じっと見つめる職人さん。何か神聖だ。ずっと左手に持っていた布でトイレの蓋やその周りをサッと何度か拭いている。寿司屋の職人が、料理をした後で布巾でサッと手周りを拭きとるような仕草。全てをリセットする清らかな儀式のように見える。
「うん、止まったね。これで何度かやって大丈夫だったら、治った。水が漏れたりしたら、また呼んで。」
そうして職人さんは、魔法のブルーシートを工具と一緒にガサっと包み込むと、小脇に抱えて「おやすみ〜」と出ていってしまった。
あまりにも、かっこよすぎる。
自分には到底できない芸当だけど、こんなふうにあっという間に誰かを助ける、極め込んだ魔法使いに、いつか私もなりたい。
今日はいつにも増して感謝の気持ちを抱きしめながら、お皿を洗って、お風呂に入って、そしてトイレに行って、寝よう。
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