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Essay

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2020年6月の記事一覧

破壊と創造

破壊なくして創造はなし、悪しき古きが滅せねば誕生もなし、時代を開く勇者たれ は橋本真也の名言です。どういったシチュエーションでの発言かはここでは触れません。 破壊とは、創造とは、さて現代で何かを新しくすることにおいてセットで語られるものでしょうか。 新しく造り出すには壊さなければいけないものがある。これは何事においても、一理あるのでしょう。 ただ、壊すものを間違えたら悲惨です。 人は間違えやすい生き物です。神だって、壊してはならないものを壊しました。 私は破壊と創

無知と無神経

鈍いバカは強い。それが戦略的であろうとなかろうと。この言い方は非常に失礼だが、今のところ、誰のことも指してはいない。 無知 1.その方面に知識が欠けること。 2.おろかなこと。知恵がないこと。 無神経 物事の感じ方が鈍いこと。恥や外聞、人の気持などを気にもしないこと。 別段目新しくもない意味だが、今日言いたいのは知らなかったり気にしなかったりする傾向が、もしかしたらアドバンテージになり得るのか?ということ。 もしかしたらずっと何も分からない方が有利…もしかしたら楽しい

ヒトは強くなれけばいけないのか

ヒトは強くなければいけませんか。 私がなにより怖いと思うのはヒトですが、同時に、なにより愛おしいのもヒトです。 私は2人の子供を産みました。産んでしまった、と言う方が正しいのかもしれません。私はお世辞にも素晴らしいヒトでもなく、また妻でもなければ、やはり母親でもありません。 私は、今の配偶者と出会ったときに、ああこの人との子供がほしいな、となんとなく、そして強く思いました。23歳の時だったと思います。 あ、別に馴れ初めを書くつもりではないです。 さて、27歳の時に息

何も無くなっても、同じ場所に存在したい

バスケットボールの息吹が、微かに聴こえてくるようになりました。契約業務や、練習だけは少しずつ行われているようです。 「新しい生活様式」を確認しながらの、恐る恐るの日々が続いています。 バスケットボールよりも、接触の少ない野球が無観客試合から開幕し、そして、バスケットボールよりも、屋外でコートの広いサッカーが幕を明けようとしています。 どう前向きに見積もっても、私たちただの観客が、バスケットボール観戦に行ける日は随分と先になりそうな気配です。 その詳しい仕組みはガイドラ

美徳

沈黙は金なりという言葉がある。黙っていた方がいい時もある。ということだ。 そう、たぶん黙っている方がいい。 黙っている方が賢そうに見えるときもある。言い表さないのだから失言もするわけがない。 黙っていた方がやり過ごせるときがある。喧々轟々の言い争いには加わることなく鎮火するまで待てる。 黙っていた方があけすけではない。なんでもかんでも言うことは一般的に露悪感が高いのかもしれない。 言うことは確かに選んだ方がいい。言わなくていいときもたぶんある。こう書くのは黙っている

読み書きができる、ということ

現代文のテストで、気持ちを問われる出題に困惑したことはありませんか。 そう、よくある「書いてあることの気持ちなんか書いたやつにしかわからないだろう?」という誤解です。 誤解と書きました。 そもそも出題の意図を、勘違いしているのです。これは、書いた人の気持ちを察しろという意味ではありません。指定された部分で「書いてあることだけを読み取る、書いてないことを勝手に推測しない」訓練なのです。 その訓練が何故必要なのかは、後述します。まず一問、解いてみましょう。 つまり自分には

後出しジャンケン野郎

あんまり語感のよくないタイトル。 センセーショナルだったり、ショックが大きいような、皆が話題にしたような出来事があったときは、たくさんの意見は出てくるし、反応も大きい。もちろん賛否両論でてくるのだが、 「あーあ、寄ってたかって言っても何も変わらないよ」 と、全てを誹謗しているかのようにひっくるめて後出しジャンケンしてくるひと。いませんか?見識家で、客観的で、良識ある感じで切り込んできて頂いちゃうかんじ。勝手に。 もちろん、こういう存在は、頭を冷やすのに必要なときもあり

私が選んだ誰かや何か

私が選ぶこと、それ自体に価値はない。 ただ、素晴らしい人や素敵なものでは、ある。 これがうまく言えない。と言う話。 私は好きなことがあったり、気に入ったことがあったり、尊敬する人がいたりすると、それを書くことはよくある。 気に入っているイベントとか、買って大当たりだったものとか、好きな選手のよかったときとか、そういうやつだ。 何故書いたんだよ、と考えると、特段、書く意図があるわけではないのだ。 書いて吐き出さないと夜道で叫びそうだったから、とかそういう衝動的なやつ

そわそわする、

そわそわする、何かを待つとき、それが ドキドキする、ワクワクする、に変われば きっと楽しいものになりそうです。 そわそわする、何かを待つとき、それが ハラハラする、ヒヤヒヤする、になると 先行きが不安でしかたありません。 自分の外は、ままなりません。 自分の内だって、十全に理解していないのに、 外の出来事はどうにもならないです。 どうにもなりませんが、 出来事とは、 誰かが意図をもって起こしたものです。 きっとたぶん、 好意的だからそれを気にしたのだと思います。 不安

取捨選択

自分で見るもの読むものくらい、自分で決めろよ、なーんて思う。 受動的とされるツールは多い。テレビ、SNS、YouTube…。なにげなく、なんとなく流れてきたものに目を止めて、いつしか吸収していく。 世の中には流れみたいなものがあって、戦略的にも、また、時勢的にも、話題は偏ることが多いだろう。 とどのつまり、うんざりする。 しかし、それを垂れ流すことを選んだのは自分だ。そのチャンネルを消さないのも、そのフォロワーを表示させているのも、そのユーチューバーをお気に入り登録し

ログアウト

嫌なことがあるとどうなりますか。 私は、急激に眠くなるタイプ。起こったことの負荷に耐えきれないので、脳内が寝て逃げようとします。 その場ですぐ寝て、起きて考えられれば比較的立ち直るときもあるので、効率的な乗り越え方ではありますが、ショックが大きいと何日かほぼ寝たきりになるし、先日はショックな出来事を知ったときに自転車に乗っていたので、普通に事故りそうになりました。リスク高い。 メンタルが太い太いと言われることの多い私ですが、逃げ方が極端なだけで許容量は普通だと思います。

勝負事

勝負事は好きな方だ。勝ち負けがつくものをやるのならば興じるくらいはできる。 ただ、私は運動神経がてんで鈍いので、スポーツのなにかしらで勝てるようなものは一切ない。 では、と、ダーツとか、麻雀とか、ポーカーとかその手の勝負事に打ち込んだことはあるけれど、そのへんもさっぱり。 勝負事に才を見出せるのは、ほんのわずかな人たちだと思う。勝ち負けの世界でご飯を食べていける人はほんのひとにぎり。 なので、多くの凡人はいろいろなものを見て、勝負事に関わる幻想みたいなものを、その時だ

○○女子と○○男子に飽きた話

カメラ女子、とか、料理男子、とかって、自然な単語のように使われていますけど、だからどうした、というか、もうお腹いっぱいじゃありませんか?そういうの、とっくに飽き飽きなんですけど。 というやつ。 ちなみに「そういう強引なカテゴリ分けに飽きた」って話も、それこそ飽きるほどもうされています。でも、しつこく生存中。未だにマーケティングとかコンサルティングとかの世界では、有用な施策の一つとして提案されているのかな…。 私はというと私は、性別そのものが「男」「女」だけではない、と現

閑話休題

先週からラーメン屋さんに行くのを解禁している。ラーメンは別に一番好きな食べ物ではないが、子供も旦那も食べられるので、家族4人でラーメンを食べに行くことはままある。 それにしてもラーメンの与える幸福感、やべーな。 「一蘭システム」の半個室の中でラーメンをすすりながらとりあえずラーメン屋に行ける段階になったことに感謝しつつ、わきあがるよく分からないハッピーな気持ちを感じる。なんだこれヤバくない? このインスタントなハッピー。最近のチェーンのラーメン屋さんは、行けば想像してい