見出し画像

取捨選択

自分で見るもの読むものくらい、自分で決めろよ、なーんて思う。

受動的とされるツールは多い。テレビ、SNS、YouTube…。なにげなく、なんとなく流れてきたものに目を止めて、いつしか吸収していく。

世の中には流れみたいなものがあって、戦略的にも、また、時勢的にも、話題は偏ることが多いだろう。

とどのつまり、うんざりする。

しかし、それを垂れ流すことを選んだのは自分だ。そのチャンネルを消さないのも、そのフォロワーを表示させているのも、そのユーチューバーをお気に入り登録したのも自分。

そのうんざりは自分が選んだもの。

取捨選択する自由は手元にある。機能も備わっている。もちろん、それでもニュースを見て考えたり、誰かの言葉を思索のきっかけにしたり、話していることを実践したりするのも自由。

見てしまうから実存するのだ、と思っている。誰が見ていても、私が見ていないのなら、私の世界では、存在していないのと同じこと。

自分の気に入らないことを言うな書くな読ませるな、と他人を威圧して牽制するよりは、自分でサクッと離れる決断をした方が、いくらかマシな人生になりそうな気がするのだ。


2020.06.19.