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【短編】ぼんやりとした憂鬱。

職場の隅に置かれたデスクに肘をついて、時計の針が定時の5時半を指すのを待ちながら、ずっと窓の外を眺めている。
永遠に変わることのないと宣言していた深い青い空は、いとも簡単にその意志を失い、徐々に色褪せて、ゆっくりと赤みを帯びてきた。
毎日、職場に来てはいるものの、特にする仕事もない。
こんな日がもう1年以上続いている。
4月に入ってきた新入社員は、短時間で美しいプレゼン資料を仕上げ、難しい計算式の入ったファイルを難なく作り上げ、どんどん新しい仕事を覚えていく。
あと2年で定年を迎える、パソコンで文字を打つのがやっとの私に、ここでできる仕事はないようだ。
以前、机を隣にしていた同僚が忙しそうに会議室へ駆け込んでいくが、私は会議にも呼ばれない。
同期たちが、どんどん出世していくのをよそに、なぜか取り残され、役職はついていない。
ある年齢で役職定年したのではなく、はじめから役職はなかった。
ただそれだけのことだ。

父親が公務員であったために安定した家庭に生まれ、子どもの時から何不自由なく暮らしてきた。
視野の狭い田舎暮らしに嫌気がさして、東京でも有名な私立大学に進学して、モラトリアムを満喫した。
それだけではもの足らず、卒業後も親の金で海外をふらふらしていた。
留学先で、後に妻となる女性に出会い、帰国して、いわゆる安定した職業についた。
結婚して、子どもが2人生まれて、希望通りに海外赴任。
子どもの教育は、専業主婦となった妻に任せっきりだったが、妻の教育は良かったようで、1人は有名私立大学に、もう1人は日本で一番の国立大学に合格した。
上の子どもは、不景気で同級生が就活に苦戦しているのをよそに、大手企業に就職が決まり、家を出ていった。
何もかもがうまくいっている。
そう思っていた。

ある日を境に、下の子どもが大学に行かなくなった。
だからといって、部屋に引きこもって、全く外に出ないかと言えば、そうではなく、家族との関係も変わらず、散歩や旅行にも出かける。
ただ、大学に行かず、バイトもしていないというだけだ。
そのうち、就職していた上の子どもが仕事を辞めて、うちに戻ってきた。
失業手当が切れても、再就職する気配もない。
下の子どもと同じで、悪びれる様子もなく、我が家の元の自分の部屋に収まり、穏やかに過ごしている。
妻は、2人の子どもの将来を案じながらも、うちを出て行けとか、働けというようなことは一切言わず、何もなかったように、それまでと同じ毎日を過ごしている。
変わったことといえば、妻がヒステリーを起こして私を怒鳴りつける回数が増えたことぐらいだ。

下の子どもは休学しているから、学費はかからないが、どうやら妻は、2人の子どもたちに毎月決まった額をお小遣いとして手渡しているようだ。
それを証拠に、働いてもいないのに、たまに2人でカラオケに行ったり、食事に行ったりしている。
兄弟が仲がいいのはいいことだけれど、いい大人が、毎日家にいて、仲良くテレビを見たり、ゲームをしたりして過ごしているのはどうなんだろうと思わなくもない。
それに、姉夫妻と同居している母親の介護費用を私が負担することになっていて、すでに定年退職して、年金受給まで間がある姉夫婦は、なんやかんやと理由をつけて請求額を上乗せしてくる。
90歳を超えた母親は、病気がちで、入院する度に往復する新幹線代もばかにならない。

時計はあと1分で定時というところまできていた。
思わず深いため息が口から漏れた。
夜はこれからだ。
ほとんどの職員は毎日深夜まで残業することが当たり前になっている。
定時で帰れば、残業代がつかない。
1つでもやらなければならないことがあれば、だらだらと4時間ぐらいは残業できるのに。
役職のない私の給料は、今日も深夜まで残業するだろう新入社員よりもずっと少ない。

同僚たちが「ああはなりたくない」と言葉には出さずとも思っていることは、態度から十二分に感じとれる。
年に2回行われる形だけの人事面談では、上司が馬鹿にしたように一方的に当たり障りのない世間話をして、適当な評価をつける。
それでも、定年までは職場に通い続けなければならない。
2年後に定年を迎えても、狭い家に4人でカンヅメなんて耐えられない。
何よりもお金がいる。
職場や社外に友だちと呼べるような人もいないから、定年後の仕事は自分でなんとかしなければならない。

最近、夕方になると、ぼんやりとした憂鬱が襲ってくる。
私の人生も夕方に差し掛かっている。
むしろ、夜に向かってスピードを上げている。

窓の外の雲をきれいなあかね色に染めていた太陽は、あっけなく力を失い姿を隠した。
私は誰にも挨拶することなく、席を立った。

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