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Taiko Super Kicks / Fragment

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音楽を聴く上で色々な曲を教えてくれたりする人達が周りにいる人も多いのではないかと思うのだが、私の周りにもいる。特に私に多大な影響を与えてくれた人は4人いる。

1人目は父だ。父がディスコやファンク、レゲエを聴く機会を与えてくれた。
2人目は、浪漫革命というバンドでギターを弾いている人。友人というか親戚というか何と言えばよいのか分からない関係性だが、彼から非常に色々な曲を教えてもらった気がする。
3人目は高校と大学の同期。高校の時から既に色々な音楽を教えてもらっていたが、大学入学後もその関係性は変わっていない。一緒にRIDEの来日公演を観に行ったり、私がシューゲイザーをちゃんと聴くようになったのは間違いなく彼の影響だと思う。
4人目は、トラックメイクやソングライティングをやっているサークルの友人だ。本気で真っ正面から音楽に向き合っていて、熱意を持って話したり時には私のしょうもない考えにも喝を入れてくれたりする大事な友人である。


Taiko Super Kicksは、その3人目の友人から教えてもらったバンドだ。大学1年生の頃に彼に"低い午後"という曲を勧めてもらってからヘビロテするようになった。
今回はTaiko Super Kicksの『Fragment』というアルバムの記事を書いていきたい。今まで私達が経験してきたものや聴いてきた音楽は断片的に繋がっている。そんなことを考えさせられる作品だ。




1曲目の"はじまりの朝"は、綺麗なギターのアルペジオの音から始まる。
OGRE YOU ASSHOLEの『ハンドルを放す前に』では無機的でミニマルな音が広がりそこからバンドのアンサンブルが構築されていたが、本作も雰囲気としては近いものがある。  


2曲目の"景色になる"の裏打ちギターはレゲエを彷彿させるが、バンドのサウンド全体の雰囲気は冷たく不穏さを感じさせる。ドラムのパターンも少し特殊で、無駄な音が省かれている。
Taiko Super Kicksの作曲のデモはギターボーカルの伊藤暁里さんが作っているようだが、彼はドラマーを元々やっていたらしい。
音源の話ではないが、YouTubeにアップロードされているこの楽曲のMVも素晴らしいので、是非見てほしい。



今までTaiko Super Kicksのライブには4回ほど足を運んだことがあるのだが、渋谷のアトリエで行われていたフリーライブを観に行った際に一度ベースの大堀さんと喫煙所でお話させていただいたことがあった(気さくで素敵な方だった)。
その時に彼が聴いている音楽を質問させていただいたのだが、Tortoiseをずっと聴いていたという回答が返ってきたのを覚えている。Tortoiseはいわゆる音響派やポストロックと定義付けられたバンドの中でもかなりの重鎮であるが、楽曲におけるバンドアンサンブルの構築感などは確かに少なからず影響を受けているのかもしれない。


4曲目の"遅刻"やラストの"フラグメント"は、「現象の音楽」だと思う。
日常にある普遍的な内容をテーマにした歌詞だが、これらの曲を聴いてなかなか一発で好きになる人はいないのではないだろうか。
"遅刻"はモジュレーション系のエフェクトが深めにかかったギターがドリーミーな世界へ連れて行ってくれるが、最初はなかなか分かりづらいと思う。


"うわさ"は弾き語りベースの楽曲。
Taiko Super Kicksの楽曲の世界観は、どこか不器用で日々のふとしたことを思い詰めて考えてしまう、そんな雰囲気がある。そして優しい。
消えそうな程儚い伊藤暁里さんの歌声は、ふと私達が思い悩んでいる時や無駄に考え過ぎてしまう人達に寄り添ってくれると思う。


6〜8曲目から、今まで比較的鳴りを潜めていた樺山大地さんのリードギターが浮き出てくる。『Many Shapes』や『霊感』ではギターソロが割と多めであったのだが、今回は少なめだ。
岡田拓郎さん(ex.森は生きている)との対談の中ではバンド内で面白い音や歪みの音が出せればよいと話していた記憶があるが、今回はアンサンブル重視のギターが多い。ある意味この作品で一つ進化したということなのだろうか。
だが、"バネのように""悪いこと"では途中で我慢し切れなくなったのか、ギターが暴れ始める部分がある。逆にそれくらい緩急がある方が聴きやすい。

"悪いこと""無縁"では、

無縁でいることが何より難しい

という共通の歌詞が用いられている。
2018年に聴いた中で一番印象に残った楽曲の歌詞はこの"無縁"の歌詞だ。
一つ一つの言葉のピースが、やがてパズルのようにハマっていき一つの絵になる。トランペットが鳴っている優しいバンドサウンドの中には、確かな不器用かつ優しく、そして少し寂しい言葉がある。




Taiko Super Kicksのライブを初めて観に行ったのはたしか2017年の11月だった。サークル内で仲の良かった後輩の女の子と一緒に観に行った時に、初めて『Fragment』に収録されている楽曲を演奏していた。ライブ後に公開インタビューが行われており、そこに私も残って見ていたのだが、興味深いことを伊藤さんが話していたのを覚えている。

「今回制作しているアルバムは、聴いた時いきなり良い!と思えるアルバムではないと思います。それでも、いつかどこかのタイミングで聴く人の救いになってくれることを祈っています。」

という旨の発言をしていた。

私自身も、このアルバムを一番最初から好きになることはできなかった。それでもふとしたタイミングで聴いた時に、やっと自分なりに言葉や音の意味を解釈できるようになってきた。
あまりに普遍的過ぎて見逃している日常の1ページの「断片」、それが『Fragment』という作品なのではないだろうか。バンドサウンドも歌詞も、断片的だが全てが繋がっている。


冒頭で述べた通り、聴く音楽も断片的ではあってもそれらは全て繋がっているものだ。どのタイミングかは分からないが、このnoteを読んでくれる人達にもその時が来るかもしれない。
いつか来たその時に、このアルバムが伝えたかった意味が自分の中で分かるのではないだろうか。


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