生い立ち

あけみょんはまずわたしの生い立ちから話を聞いてくれた。

幼稚園生までは自由奔放で楽しく過ごしていた。
小学2年生の時に妹が生まれた。
小学5年生の時に母が精神疾患を患った。幻聴に惑わされたり、「あんたはお母さんの子じゃない!嫌い!」は当たり前。殺されそうになったことも、自傷を脅すように見せられたこともある。
父と母は家庭内別居状態。外面は良かったから担任の先生にもあまり信じてもらえない。祖母は「お母さんは大変だよ。お姉ちゃんなんだからしっかりしないと!」ばっかり。当時は異常さが分からなかったけど大人になった今振り返ると最悪な状況だったと思う。誰にも頼れなかった。
小学6年生のとき、母は入院することになった。
2か月ほどで寛解して退院してきた。

これ以上人生を踏み外したくないし、母に褒めてもらいたくて中学受験に挑戦し合格した。

中学2年生のとき、また母の状態が悪くなって入院した。わたしは自分のせいだと思ったストレスから嚥下障害になった。この時からか、小学生の頃の嫌な記憶を頻回に思い出しては、涙が出て過呼吸になることがあった。
給食の下膳中に全く食べれていないことを担任の先生が気づいてくれて、給食をミキサー食にし、個室か保健室落ち着ける場所で食べれるように配慮してくれた。このとき初めてスクールカウンセラーと話した。あまり覚えていないが数回会っただけだったと思う。その後、すぐに母は退院して、わたしも普通に食事が取れるようになった。中学生活は勉強ばかりしていたけどとても楽しく過ごせた。

高校は進学校に進学した。周りと合わず3年間ただ黙々と過ごした。7時半から17時までの授業をこなし、放課後も苦手な科目の講座を受け、塾に行き、大量の課題をして寝るの繰り返し。あまり良い思い出はないけど、とてもためになっている3年間ではある。
このときもスクールカウンセラーと会っていたけど、色々と掘り返して聞かれ思い出し過呼吸になるのがきつくてやめた。キラキラしている周りと自分は何かが少し違うと感じ始めて、アダルトチルドレンやPTSDという言葉を知り、悲嘆的?諦観的?になった。
進路は好きな文系か小学生からの夢であり安定している看護師になるか迷った結果、看護大学を受験することにした。

大学生からは一人暮らしを始めた。
父もストレスから鬱になり仕事を辞めた。
けど、運のいいことに、入学時の成績が良く、学費免除と留学支援金をいただいた。
一人暮らしの分は奨学金でどうにかできた。
大学の教養科目の授業は自由で楽しかった。でもやはり周りがキラキラしている。自分の過去に落ち込むことも多かった。看護の勉強をしているうちに、精神疾患の知識もつきまた自分を責めたり、動悸がするほどフラッシュバックすることもあった。

バイト先の居酒屋のママは良い人だった。
沢山の苦労をされ、情に溢れる人だった。
ママはわたしに興味をもってくれて色々と質問してくれた。ママなら大丈夫だと思って、初めてカウンセラー以外の人に自分の生い立ちを話した。涙を流しながら、「そうだったんだ。とっても頑張ってきたね〜」と受け入れてくれた。「もっと自分に優しくして良い。完璧主義なところ、頑張りすぎてしまうところ、自分を好きになれないことは、言い方は悪いけど小さいときに親からの愛情を十分に受け取れなかったことにあるんだと思うけど、お母さんは大好きだと思うよ。これからは自分を甘やかして良いんだよ」と教えてもらった。感謝しきれないほど、娘のように沢山の愛情をくれとても温かくしてもらっている。

それから、国家試験に合格し、地元の病院に勤め今に至ることを伝えた。

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