透明な夜、君を迎えに 第二話
暗い淵から浮かび上がってきた意識が最初に感じたのは、瞼に当たる光の感触だった。
「んぅ……」
呻き声が、喉から込み上げる。
頬に、産毛を撫でるような風のそよぎも感じる。
感覚が、恐ろしく研ぎ澄まされているらしい。
まだ、生きている……?
両腕には、ずきずきするような痛みがあった。
少し、熱もあるようだ。
でも、そんなことはどうでもいい。
カレは?カレは無事なんだろうか。
ゆっくりと、わたしは目を開いた。
天井には、飾り気のない蛍光灯。
わたしが寝ているのは、床に敷かれた布団の上のようだ。
どうやら病院ではないらしい。
「気がついた?」
気遣うような声音。
近寄ってきたカレに、寝起きの顔を見られる恥ずかしさに、また頬が熱くなるのを感じた。
ごまかそうと、咳払いをする。
「……ここは?」
「工場の宿直室。去年の夏から管理人として、ここで暮らしてる」
カレと出会った道沿いに建つ、工場の一室、ってこと?
少し頭を持ち上げて、周りを見てみる。
6畳くらいの部屋に、スチールの事務机や冷蔵庫が置いてあって、ひと通りの生活環境は整ってるみたいだ。
「大丈夫? りな」
突然、名前を呼ばれて、心臓が跳ね上がった。
「あ、ごめん。生徒手帳見ちゃった」
動揺が思いっきり、顔に出ていたらしい。
カレはそう打ち明けると、
「木島さん、の方がいい?」
と訊いてきた。
「まって、狡くない?」
「ん、何が」
「わたし、まだなんて呼んでいいのか聞いてない」
「ははっ」
あれ。笑うと意外なくらい、無防備な感じ。
「じゃ、トウヤって呼んで」
「本名?」
「そうだよ。どうして?」
「……ぴったりだなって」
透也、と書くのだろうか。
それとも、冬也?
鋭さと透明感を併せ持った、カレの雰囲気に似つかわしい名前だ、と思った。
「止血はしたんだけど、傷口の消毒が十分かどうか、自信なくて」
「……」
わたしはもういちど頭をもたげ、今度は自分の身体を確認してみる。
掛け布団から出ている部分から判断して、わたしは自分の制服ではなく、カレの服を着せられているらしかった。
長袖の、黒いカッターシャツ。
どうやって着替えさせたのか、はあえて考えないようにした。
カレはわたしの横に座り、シャツの右袖を捲り上げた。
腕は、肘の少し上で途切れていて、そこから上は白い包帯でぐるぐる巻きにされている。
剥き出しになったわたしの肩に、カレは口づけた。
「ゆうべも言ったけど、はじめてなんだ、こんなの。
めちゃくちゃに切り刻みたい、って思った。
でもその後、君が意識のない状態のまま、続けるべきじゃない、って思って。
まだ一度も、話してないのにさ」
わたしは、どうだろうか。
あのまま、意識がないままバラバラにされるのも、悪くなかった気がする。
でも、そう思うそばから、カレともっと通じ合いたい、という気持ちが、むらむらと湧き上がってきた。
「君ともっと、こうしていたい。
でも遅かれ早かれ、ここは見つかってしまうだろう」
僅かに残ったわたしの腕に頬ずりして、カレは言う。
「いや……っ!」
思わず、大きな声を挙げてしまう。
カレはつと体を離すと、わたしの目を、覗き込んできた。
「ここの工場は今、操業していない。住んでるのは僕一人だ。
倉庫として使われていて、本社からは担当者が定期的に、資材を取りに来るけれど、胡麻化すのは可能だと思う。
でも、君のご両親からは、捜索願いが出されるだろうから……」
「電話させて。わたしの声聞いたら、たぶん信じてくれるから」
カレは少し黙ったが、机に置いた私の鞄から、スマホを取り出して持ってきた。
時間を見ると、朝の8時だ。
今までも友達と遊んでいて朝帰りしたことは何度かあったけど、連絡しないままということはさすがに初めてだったので、親からは着信とLINEの履歴が山のように入っていた。
今日からゴールデンウィークだけど、緊急事態宣言が出ているこの状況下、友達と遊ぶ約束はおろか、家族でも何も予定を入れていない。
わたしも、ここぞとばかりに引きこもって新曲を作りまくるつもりだった。
自分の作ったAIに自分の作った曲を歌わせる、Vtuberの活動を始めてもう2年経つ。
キャラクターの造形は、ネットで知り合った絵師の子にやってもらった。
登録者数はまだ1000人に満たないけど、別にプロになりたい訳じゃない。
Vtuber続けながら音楽関係の仕事につきたい、その為には専門学校に入って……って自分なりに人生設計してた。
でも、カレと出会ってわたしは、今までの生活全部投げ捨てても構わない、って思ってる。
恋って、そこまで人間を変えてしまうもの?
しばらく考えてから、わたしは雫に電話することにした。
どんな言い訳を考えても、親が許してくれるとは思えないし、電話越しとはいえ、カレの前で修羅場を演じることは避けたい。
だからといってLINEだけ送ったのでは、わたしからかどうか怪しまれて結局、警察に届けられてしまう気がする。
カレに指示して、雫の電話番号を押してもらった。
ワンフレーズで、雫が電話口に出る。
「もしもし?え、莉那どうしたの?ご両親から何度も連絡来たよ??」
当然のことながら、雫は困惑と非難の混ざった調子で、矢継ぎ早に問いかけてくる。
「ごめん!」
とりあえず、謝ってしまおう。
「詳しいこと言えないんだけどさ、しばらく家に帰れなくって」
「ちょ、まってよ何?やばいことに巻き込まれてるの?」
「いや、そういうんじゃないけどさ……ほらあの、駆け落ち?みたいな」
我ながら説得力がないとは知りながら、破れかぶれで口に出す。
「いやお前、彼氏どころか好きな人もいない癖に何言ってんの?」
あまりに予想外な言葉に、怒ることも忘れて呆れ声を出す雫。
「悪い!親から電話あったら、そう言っといて!」
有無を言わさず切る。
これで、警察に頼るにしても、捜査の方向性は変えられただろう。
スマホを持つカレの手が震えてる、と思ったらくすくす笑っている。
もう。人の気も知らないで。
「お腹、空かない?」
「そういえば空いたかも」
「君の腕、料理してあげようか?」
ちょっと引いた。
こいつマジでやばい奴じゃないの?
「冗談だから。なんか買ってくるよ」
「取ってあるの?」
「え?」
「わたしの腕」
「うん、冷凍庫に入れてある」
「どうするの、それ」
「……分かんないけど、全部取っておくよ。
あと、言っておくけどそのうち足も、切るかも知れない」
「いいよ」
「……」
「その代わり、わたしが途中で気を失ったりしないようにしてね」
返事の代わりに、カレはわたしを後ろから抱き締めた。
ヤバい、熱上がったかも。
「ね、なんか冷たくて甘いもの食べたい。アイスとかプリンとか」
「分かった、待ってて」
上着を羽織って出ていこうとする後ろ姿に、思い出したように声を掛ける。
「トウヤ」
「何」
振り返ったカレに訊ねる。
「どういう字書くの、トウヤって」
「透けるって字に、夜」
あ、思い出した。
わたしが最初に作った曲のタイトル。
『透明な夜、君を迎えに』
メロディーを口ずさみながら、わたしは再び、まどろみに落ちていった。
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