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【中篇】 行きたいところ(2)

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「ゆぅこちゃん一月生まれ?」
「理子ちゃんは?」
「十二月。トルコ石だよ」

 今日はもういいや、とゆぅこちゃんは云って、サングリアを持ってきた。もういい、とは云っても、ゴブレットに注いだサングリアを片手に、ゆぅこちゃんはクロッキー帖にぐるぐると線を引いている。真面目なのだ、と思う。こんなに真面目だったら、学校を休学するのも仕方の無い話だ。

 私はちょっとだけ、自分の気分に重ねてそう考えた。

 私はずっとポッドキャストを聴いている。

 お酒が少しずつ減ってゆく。

 やがて窓の外にしらじらと夜明けの兆候が現れ、ゆぅこちゃんが、

「私もう寝るね」

 と、云った。

「理子ちゃん寝るとき、冷房よろしく」
「うん」

 私はまだちょっとは眠らないな、と思ったので頷いた。ポッドキャストは終了にして、雑誌を捲っていた。


   ☆

 ゆぅこちゃんは部屋の隅の簡易ベッドですぅすぅと眠り始め、私は改めて天井を見上げた。一面画鋲で刺された画。それが、肌色であるかのように見えて、はっとした。ゆぅこちゃんが目を覚まさないように、そうっと背伸びをして見上げる。

 女の子の顔だ。

 拙い筆致の、女の子の肩から上の水彩画だった。実際に六歳だかそれくらいの子が描いたものだ、と分かった。そして、画鋲で埋められるのをまだ免れている部分に、「かなむらゆうこ」と描いてあった。どきっとした。ゆぅこちゃんの自画像じゃないか。

 自分が子どものときに描いた自分の顔を、画鋲の針で念入りに刺しているゆぅこちゃん。

 ねえ、ゆぅこちゃんも何処かに行ってしまいたいの?

 ねえ、ゆぅこちゃんも何か消したいことがあるの?

 私は声を出せずに、右目や鼻の穴なんかはもう針で刺しまくられて、そう、乱反射のプラスティック鋲の光しか見えない、天井に貼られた画用紙を見上げていた。

 ねえ、ゆぅこちゃん、この自画像、六歳のとき、嫌いなの?

 だから、刺しているの?

 それから、いよいよ夜明けが本格的になってきたので、私は昂った気分を沈めようとそうっとゆぅこちゃんのゴブレットに残されていたサングリアをのんで、ソファに横になった。

 私は、六歳だか七歳だかのときの私のことを、あまり好きじゃない。


  *


「私たち、夜行性動物だね」

 寝付きが悪く寝返りを打っていたら、眠っている筈のゆぅこちゃんが突然喋ったのでびっくりした。

「起きてたの?」

「なんか寝られないみたい」

「トーストとか焼く?」

「いいよ夜行性なんだから」

 私は立ち上がってカーテンをぴっちりと閉めた。朝が入ってこないように。

「夜行性動物園に入れられちゃうね」

「夜行性動物園?」

「夜にばっかり動くの、そこの動物」

「そんなのあるの?」

「なーいよっ」

「なんだ……」

 ゆぅこちゃんは適当な嘘をぺらぺらと話すのが好きなのだ。

 私はソファとタオルケットのあいだに戻り、ゆぅこちゃんは横になっていて、でもまだ眠れないようだった。ゆぅこちゃんも小さい頃に描いたのであろう自分の顔の絵を、鋲で埋めるようにびっしりと刺している天井の画を見上げているのが分かった。

「おかあさんね、」

 ゆぅこちゃんが云った。

「おかあさんね、嫌いじゃないよ。たぶんいいひとなんだと思う」

「うん、」

「おとうさんもね、たぶん悪くない。いいひとだと思う。弟はいい子よ、とても」

「うん、」

「問題は私なんだよね、いつも、往々にして」

「……うん……」

 うん、しか云えずに相槌を打った。

 私もなんというか、そうなんだよ、と思いながら。

「何処かに行きたいなあ」

 ゆぅこちゃんがそれまでのちょっと硬い口調を緩めて、云った。

「何処?」

「夜行性動物園行きたいなあ」

「それは存在しないんでしょ」

「うん、存在しない。残念だよね」

「うん……残念だね」

「理子ちゃん、おやすみなさい、よ。朝がやって来て私たち、砂になってしまうわよ」

「うん、……そうだね」

 私はゆぅこちゃんの吸血鬼ジョークに少し口元を緩めながら、ソファのクッションにあたまを乗せ直した。

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  ***

 本編はAmazonで発売中の短篇集『ミルチリカル』収録作品です。
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