『zakuro,その断片 /ver 0.8.0』 (13)
らぢを
なんとはなしに駄目だなあと思ったら、春曜日だった。軽い頭痛がするし、ピアスホールは調子が悪くて少し黄色い汁が出てくるし、運転しているボートのエンヂンはぐるぐると騒ぐ。まったく、春曜日は厄介だ。年に何度やってくるかわからないことも厄介だし、早々の店仕舞いも多い。行く先の筈だったミトナミ文具も仕舞っている、ということにして、私はドライヴ・スルーのカッフェで紅茶を買うことにした。こういう安い店は春曜日なんて気にしない。
「ソフィアグレイ、ストレートで」
カーペットの上に突き出したマイクに向かって、私は云う。
「ボート・パーキングをお使いになられますか」
「あ、はい、それからあと、キャラメルマカロンヌひとつ」
「かしこまりました。すぐ用意します」
スチレンの紅茶と菓子を受け取ると、カーペットの上をボートをエンジン全開にして飛ばして、パーキングの窓際に陣取った。春曜日は空が透けている。透けた向こうに宇宙の星雲が見える。
──クラムボンは……
突然そんな声を電波キャッチャが捕獲して、私はびくりとした。キャッチャはオンにしていたのだけれど、春曜日だからラヂヲなどやっていないと思っていたのだった。
──かぷかぷわらったよ。
ああ、なんだか知っている言葉だ。なんだ、なんだ、と私は思い、深呼吸をしてからソフィア・グレイに口をつけた。春曜日は良い水が採れるので、こんな安い店の紅茶まで美味しい。まったく、春曜日の良いところなんてそれくらいだが。
水の谷地方では春曜日に水を採集して、保存しているらしい。精製水の硝子壜で出来たビルディングが立ち並ぶその風景は何処かで見たような気がする、デ・ジャ・ヴュー!
──スティック、ストライク、ストリクト、スクリプト! それでは、CMの後でまたお逢いしましょう。
ラヂヲはジングルが入ってカマーシャル・ミヌティウスになる。私はそのあいだに、キャラメルマカロンヌをあじわった。クラムボン。かぷかぷ。何かを思い出せそうな居心地の悪い感覚に躰の芯から支配されてゆく。
時報が鳴った。九時だった。九時の、くじら、くじらぢを!
右耳のピアスホールを無意識にいじる。膿んでいるのだろうか。オキシフルを買おうかな。沁みて痛いだろうか。別に構わないのだけれど。それよりも、今つけているフック型をしたピアスに付いている柘榴石が、食べたくて困る。甘酸っぱいだろうなあ。熟すまではピアスにしておこうと決意しているにも関わらず、私はしょっちゅう、ピアスを完全に硬化させる前に嘗めてしまう。美味しいんだもの、ねえ……まあ、いいや、と思いながら、マカロンヌを齧る。
窓から外を眺めていると、水平線の辺りに電波塔が見えた。電波塔は灯台も果たすため、大きくて、蜃気楼に混ざり易い。
あ。
ふと気付いてトランクボクスをがさがさとまさぐり、オペラグラスを出した。灯台の中くらいの高さに窓があり、そこが今聞いているラヂヲの発信地らしかった。私は目を凝らす。やっぱりね。
ディスクジョッキィはくじらだった。宙返りをして大きな図体を揺すり、まったく、ノリの良い風体だ、と私は思う。
アソベ、アソベ、ミヤゴトアソベ
ヒカレ、ヒカレ、マンゲツヒカレ
私は何か厭な予感がした。突然、ボートパーキングの照明が全部落ちた。
──皿皿皿皿皿皿皿皿……
ダダイズムの浸食!
私の心臓が飛び上がり、ぎゅっと痛む。なんということだ。そんな風に撹拌してはいけない。怒りが臨界点に達して、私の右耳で柘榴石が爆発し、次に燃やすものをちりちりとした触手がさぐり始める。その火花で我に返った私は電波キャッチを叩き切った。これで消えた。くじらも、くじらぢをも、クラムボンも、消えた。カプカプわらっても、聞こえない。単なる電波だ、と自分に云い聞かせる。あれは電波。単なる波。総てのものは波なのだ。それなら私のこのエンヂンボート、すべてを掻き分けて進みゆける、なんとも心強いではないか。
スチレンカップがダッシュボードにシュートされる音で、今回の春曜日は終了した。
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