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いろんな台詞に育てられました

先日こちらのnoteを読み、久しぶりに思い出したことがあった。

『スカッシュが面白い理由を問われて、その主人公の女性はたしか「一人でもできるところ」と答えた』という文章を読み、本当に久しぶりにその台詞を読んだときの記憶がよみがえった。ジョン・アーヴィングの本が好きだったのはたしか高校生か中学生のころ。この台詞が妙にかっこよく感じて、当時の私は暫くこの台詞が気に入っていた。すっかり忘れたけれど、久しぶりにその台詞を初めて読んだときの衝撃を思い出した。

考えてみれば、小さい頃から色んな小説の台詞に育てられて大きくなったと思う。

一番影響を受けたのは江國香織。小学生の頃買った『神様のボート』『ホリー・ガーデン』『流しの下の骨』『落下する夕方』の文庫本たちは、何度引越しを繰り返してもずっと一緒に連れてきた。

今でも何度か読み返すのだけれど、大人になってから読むと江國香織の小説に出てくる人たちはたいていちょっとはみ出した人が多い。でもみんな自分の気持ちを大切に生きている。そして不倫の話が多い。

特に昔からよく読み返しているうちの1冊は『ホリー・ガーデン』だが、これは主人公の女ふたりとも不倫している。

ストーリーを読んでいればそれはもちろんわかるのだが、当時それを読んでいて間違ってるとか嫌だとか汚いとかいわゆる世間的な不倫の悪いイメージを感じた覚えがいっさいない。悲壮感もなければ逃避行もないし、どろどろした愛憎もない。小学生の頃の私は、不倫に対するもともとのイメージを知らなかったために、単なる恋愛のひとつのかたちとしか思わなかったと思う。

たいてい江國香織の小説に出てくる人たちは、ちょっとどうしようもないところがあって特にすごくない人で、起こる出来事もどうでもいいことばかりだ。びっくりするようなミステリー要素も何か頑張って達成する話も出てこない。

ただ出てくる人たちが生活しているだけだ。でもその生活している人の姿がすごく愛しい。
そして私は、その人たちの台詞にずいぶんと育てられた気がする。

台詞だけでなくタイトルにもなっているが、「思いわずらうことなく愉しく生きよ」というフレーズも好き。「楽しく」じゃなくて「愉しく」という言葉が私の生活に入ってきたのは、このときが初めてだった。

『ホリー・ガーデン』を久し振りに読み返したら、やっぱり素敵な台詞がたくさんあった。主人公の果歩は「自分が大人だってことを忘れないためにマニキュアを塗る」という。この台詞も好きなもののひとつだった。

普通に暮らしているだけじゃ、意識しないと言葉はどんどん痩せ細る。冷たい言葉とか、雑な言葉とかは簡単に見つかるけど、小説はいつ読んでもとっておきの言葉に溢れていて本当に便利。

私は小説は書けないけれど、せめて言葉でなるべく人を良い気持ちにさせたいなと思う。

※ちなみに写真のネコは、『ホリー・ガーデン』の果歩がかっているしゃがれ声の猫「フキ」のイメージに近かったのでなんとなく選んだ。

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