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歴史は決して削除できない

突然ですが、私が海外に移住したいと思ったきっかけをお話ししたいと思います。当時15歳の私は父親の転勤でシンガポールに住むことになりました。シンガポールといえば今はかなりリゾート化していて観光施設も充実していますが、昔はまだリゾートというよりは多民族国家色が強く、いろんな文化があふれているという国でした。その中でも私は日本人学校、日本の家族、日本の商業施設などに囲まれながら、シンガポールを触れていました。

高校生になると、私は家から学校まで公共のバスで通っていました。ある朝、私はその日学校のテストがあったので、バスの中で暗記メモを読みながらラッシュアワーを迎えていました。突然の揺れでスルッとメモが足元に落ちてしまいました。とても混みあっていたのですが、私はそのメモを他の人に踏まれないようにそして、自分も他の人を押さないように気を付けながらしゃがんでメモを拾いました。しかしながらその時、私のカバンが前に座っていた老女の持ち物にあたってしまったようです。

私は立ち上がると、老女は怖い顔をして、私に怒鳴りつけました。私は何を言っているのかさっぱりわからず、おそらく私のカバンが当たったことに対して怒っているんだと思い「I  am sorry」といいましたが、老女は座ったままおそらく中国語で何か私をののしっています。私はどうしていいものかわからず、ただ茫然と立っているだけでした。

「GET OUT!!」老女はいきなり英語で叫び私をひっぱたきました。「GET OUT、Japanese!!」なんでたたかれないといけないのか、訳も分からずただ自分の身を守るだけでした、すると周りの人達がそれに気づき、その老女を止めにはいり、私は周りの人たちに守られながら別の場所に移動しました。

バスを降りた私は悲しさでいっぱいでした。その老女は何を言おうとしていたのか、何を感じていたのかはわかりません。しかし、彼女の目には怒りと悲しみであふれていました。「Get Out JAPANESE」という投げつけられた言葉からおそらく、日本がシンガポールに占領しに来た時にとてつもないことをされたのかもしれません。戦時中日本がシンガポールにしたこと、それは大量虐殺、国を占領し様々なことを強要させたこと、これらがこの老女の脳裏に常に焼き付いている記憶なのでしょう。

歴史は削除できません、書き換えもできません。歴史はいつまでも語り継がれるし、二度と繰り返さない為にも語りついでいかなければなりません。しかしながら、歴史は新しく作ることができます。これから新しい架け橋を作っていこう!!私たちが作っていいかなければだめだ!!と思い、高校生の私は国籍が違かろうが、同じだろうがみんな平等。もっと外から日本を見てみたい。そして日本という国、文化を広めていきたいと強く思うようになりました。

そんなことを思い始めてから年月がたち、国際人になりました。まだまだ、自分の文化をよく知る必要もあるし、他の国の文化や歴史、そして人々を知ることが必要ですが、それでも私の中で当時の高校生の私には想像できないほど充実した人生を送っているのではないかと思います。



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