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コンビニの役割を果たしていた銭湯!? 銭湯で働く人に銭湯での思い出を聞いてみた
みなさんは、店員さんとお話しすることはありますか?
湯の輪らぼが拠点とする東京都千代田区に位置する稲荷湯でフロントに立つ武田さんは、以前はご自身で銭湯を経営されていました。
そこで今回は、稲荷湯三代目(仮)のまもるが武田さんに、銭湯でのエピソードをお話を伺いました。
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まもる:昔からずっと銭湯に行かれていたんですか?
武田さん:そうですね。昔は、自宅にお風呂があるっていうのは、珍しいっていうか、ちょっと地位が高い、高収入の人じゃないと、お風呂付きっていうのがなかったんですよね。
まもる:そうですよね、戦後すぐですもんね。
武田さん:しかも、お風呂があっても五右衛門風呂みたいなやつで。今式みたいなのはないです。
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まもる:武田さんの家の近くでお風呂持ってる方とかはいらしたんですか。
武田さん:まぁ何軒かは。ちょっと行くと、高級住宅街になるんです。私が住んでいたのは杉並の端っこの方なんだけど。
隣が武蔵野で、吉祥寺の方。道路隔てたっていう感じで、うちから歩いてもう4~5分のところに、三木武夫っていう昔の首相がいて。
道路隔てて向こう側にいたから、三木さんの方は武蔵野市なんです。で、私は杉並区なんです。近くに池があったり公園があったり、私のちっちゃい時は田んぼなんかもありましたよ。
まもる:西荻窪にですか?
武田さん:駅の近くにはないよ。
ちょっと出始めると、善福寺っていう池があったんですよ。昔は水が湧き出てて、そこで飲めたっていうんですね。私のちっちゃい頃だから、私もよく覚えてないけど、岩からポコッポコッポコって出てて、池のほうに流れるようになってて。
だから池の水もすごく綺麗で、ボートなんかもあって、1時間いくらなんて貸し出ししてたんですね。それで睡蓮が池の真ん中に咲いててとても綺麗だった。周りに桜の木があってお花見なんかもしたんですよ。
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まもる:いいですね。
武田さん家のご近所には、銭湯ってありましたか?
武田さん:歩いて3, 4分のところに、天徳湯っていうお風呂屋さんがあったんです。そこはちょっと古いんですよね。今はもうやめちゃってるけど。そこへ行ってましたね。
まもる:何時ごろ行かれてたんですか?
武田さん:やっぱ夕飯食べてからじゃないかなぁ?うちも商売やってたしね。
だから、ちょうど混む時間帯にお姉さんたちと母親と、2、3人でいっつも行ってましたね。周りにお風呂のない家が多いから昔は混んでたんですよ。
まもる:子どもも多かったんですか?
武田さん:やっぱり子どもは多かったですよ。昔のうちだから、兄弟4、5人いたもん。うちだって8人兄弟だもん。
まもる:8人兄弟… すごいですね。
天徳湯さんでの印象的なエピソードみたいなのがあれば教えてください。
武田さん:行くのがお店の終わり時間ギリギリになっちゃうと天徳湯の奥さんが、番台からいっつも「こういう時もありますからぁ」「明日っていう日もありますからぁ、慌ててね、ギリギリに来なくてもいいでしょ」
って言うことを、言いたいらしいのよ。
まもる:言いたかったんですね(笑)
武田さん:そうそうそう
まもる:何時ごろが終了時間だったんですか?
武田さん:やっぱり24時近かったんじゃないですか。必ずね、その奥さんのね、口癖なのよ。「明日という日もありますから」ってこういうわけよ。
だから、そんなギリギリに来ないで、明日ゆっくり来なさいっていうことなんでしょうね。
まもる:ふーん、なるほど。面白いですね。
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武田さん:それから何年か経って、私が小学低学年くらいの時に親戚が、歩いて10分もかからないところに新しく銭湯を建てたんですよ。
まもる:新しく建てたんですか?
武田さん:建てたのよ。まだ営業してるよ。
それで親戚だから、今度はそっちに行ったんです。
まもる:そうなんですね。その時は、お風呂屋さんの数が増えてた時ですよね。
武田さん:私の考えではね、新潟の方は雪で仕事ができなくなるじゃないですか、冬場なんか。だから、長男が後継ぐと、次男三男っていうのは、どっかに仕事をしに、出稼ぎに行かなきゃいけないわけだから。
そうすると、昔、村の方から出て行って、東京なりどこなり、都会へ行って、それで番頭として、お金を貯めて、風呂屋をやると。
そこが一応軌道に乗ったら、自分がまた親父になって、支店みたいなのを作るという。すっとそこを任せる人が欲しいわけじゃない。だから、自分の故郷から、来ないかっていう感じ?
まもる:人を呼び寄せるみたいな。
武田さん:人を呼び寄せるし、こっちに行った次男三男が、あそこのおじさんのところに行って、何年か修行をして仕事を覚えて、親分のところの支店を任されるわけよ。
任されて、支店長みたいになって、段々に増えていくって。多分そういうふうなことだと思うのよね。うちのお祖父さんもそうだったから。
まもる:お祖父さんはどちらの出身なんですか?
武田さん:新潟なの。長男じゃないから、畑なんかを遺産相続で分けちゃうと仕事にならないじゃない?細切れになっちゃうから。だから、次男三男は、やっぱり働きに出る。
まもる:うちの祖父もそうでしたね。長男ではなかったので。
武田さん:そういうことでしょ、きっと。
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まもる:学校通われてから、結婚するまでずっと文化湯さんに行ってらしたんですか?
武田さん:うちも建て替えて、お風呂作ったから、そのうち行かなくなったけど。お風呂もめんどくさいんだよね、やっぱり。お掃除しなきゃなんないし、焚かなきゃなんないし。
昔はガスがポンっとじゃなくて、薪で炊いてたから。冬なんか、結構、東京寒かったのね。
みんなまだ、タオルっていうより手拭いを使ってたんだよね。お風呂屋から出て、何分か歩くとね。凍っちゃうの。
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まもる:そんなに寒かったんですか!?
武田さん:そう。で、ポッてやると、トッと立つぐらいに凍っちゃうんですよ。本当にね、東京も結構寒かったのよ。
まもる:へー
武田さん:水道管が凍らないようにチョロチョロチョロって出しててくださいって、ラジオで。
まもる:寒い地域ではそういうふうなことをやってるって聞きますけど、ここでもそういうことが行われていたんですね。
そんなに寒いとお風呂上がりに家まで移動するののとかって嫌じゃないですか?
武田さん:昔は火鉢ぐらいがあるだけで、暖房もそんなにないじゃない。ストーブなんかある家は、高級の人たち。
そんなもんだからさ、あったまりに行くわけ。近いからさ。あっちこっちに昔はいっぱい、銭湯があったから。
あったまらなくちゃ寝られないのよ、寒くて。それで昔のうちって木造で、断熱材なんて入ってないんだもん。障子とさ、唐紙でしょ。襖で。だから、多分寒かったんだと思うよ。
まもる:そうですよね、今でも冬シャワーだけだと寒い感じがしますからね。夏はどうでしたか?
武田さん:夏はね、たまーにね、行水みたいのしてる人いたね。自宅で。
大きなタライの中に、ちょっとぬるま湯を作って。外から見えないように目隠し作って。みんな工夫して節約したりして、夏は過ごしたり。
まもる:そんな感じだったんですね。
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まもる:結婚されてから、渋谷の武の湯さんで働くようになるわけじゃないですか。結婚したらお風呂屋さんで働くって分かった時、どう感じられましたか?
武田さん:別に。だって親戚にいっぱい風呂屋があるからなんとも感じない。風呂屋ってこういうもんだなーっていう感じが、漠然とわかってるから。
まもる:そうなんですか。武田さんが結婚された時は、武の湯さんができて何年くらいだったんですか?
武田さん:何年だろう。戦前からあったんだけど、戦争で焼けちゃって。渋谷は焼け野原になったらしいわよ。
それで、新潟に疎開してて、戦後落ち着いてから出てきて建てたらしい。その建てたのは、うちのおじいさんじゃなくて、親分が建てたんだと思う。そこの支店長みたいに任されて。
そしたら、親分がお金がいるようなことができちゃって、買ってくれないかって話になったらしいのよ。それが借金をしなきゃ買えないっていうくらいのお金でね。
その前の話はよくわかんないけど、お金を借りるんで、どこの銀行だか知らないけども、個人じゃ貸せないからって言われてたから、有限会社を興して、会社としてお金を借りたんだって。それが昭和27年の話。
まもる:武の湯さんには、どんな方がお客さんでいらしてたんですか。
武田さん:住宅街だから子どもっていうか赤ちゃんが多いのよ。それでお店が始まると、だーっと並んでて、だーっと入ってくるわけ。
それで女湯の脱衣場の真ん中に大きな寝台があって、そこに布団を置いていたのね。大体14人くらいの赤ちゃんを寝かせられる広さの寝台があったの。
まもる:へー、それはすごい。女湯は賑やかそうですね。
武田さん:もう、開けた途端にそうなの。
まもる:営業時間は何時から何時くらいだったんですか?
武田さん:16時ごろから大体24時で終わりだったと思う。
まもる:どなたか雇われていたんですか?
武田さん:赤ちゃんの世話をするために、おばさんっていう人をパートとして雇ってて。お母さんが出てくるまで、お水、白湯とかミルクとか飲ませたり、服を着せたりって面倒を見るわけ。
それで、おばさんが一人と、吉祥寺に住んでた主人のお姉さんが通ってきて世話してくれてた。もう一人いたような気がする、二人じゃなくって。掃除だけ、夕方の脱衣場を掃除する人。
まもる:脱衣場の掃除専用でいたんですか。
武田さん:いたの、一人。
まもる:営業時間中にですか?
武田さん:はい、その人はね、仕事を掛け持ちしてんの。どっかの仕事が終わると、夕方ちょうど来るわけよ。
それで、掃除機なんてないから、多分、箒ではいて、雑巾で床を拭いたと思う。
まもる:まぁビシャビシャになっちゃいますからね、人がたくさんいたら。
武田さん:すごい出入りが多いから、汚れるわけよ。水拭きの雑巾掛けしてたね。それで、2時間3時間くらいいたのかな。
だから、子どもが来たりしたら、その方も面倒見たと思うよ。それで、その方のお住まいはちょっと遠くなもんだから、主人が車で毎日送っていくわけ。
まもる:送迎付きだったんですね。
武田さん:来る時は勝手に来るんだけど、帰りは送ってった。
まもる:武田さんが嫁がれた時が1960年代後半ですよね、オリンピック終わってから。
その時は結構、東京にも人口が増えてたような時で、お風呂屋さんが1番多かった時代ですよね。
武田さん:そう、だって都営住宅も、その近所のアパートも、お風呂ついてないもん。
まもる:そんな中で、武の湯さんはサウナとか付けたり、新しい設備にしてたんですよね。
武田さん:そう。うちってね、10年ごとくらいにね、中普請(なかぶしん)って言って、お風呂を作り替えるの。ちょっとした修理って言うんじゃなくてお風呂全部壊して。
まもる:改装しちゃうみたいな?
武田さん:そうそうそう、大改装みたいな。私が結婚して2回か3回、作り直したような気がする。
まもる:なんで10年に1回くらい作り替えようっていうふうに?
武田さん:やっぱり、古くなるのと、時代が変わって新しいブクブクとか、ジャワジャワっていう、新しい設備ができるようになるから、それに合わせて作り直すっていうの?
まもる:なるほど。その時代にあった銭湯にされていたんですね。
武田さん:だけどお金はかかるわよねぇ。
まもる:ですよねぇ、でもその分お客さんは…
武田さん:増える。昭和48年だか49年にやった時に、うちではサウナをつけたんですよ。
まもる:48年に。早いですね。
武田さん:サウナを銭湯につけたっていうのは、都内で2番目か3番目なのよ。だからサウナもすっごい混んだの。
結婚した時は深―いちょっと熱めの風呂と、ちょっとしゃがんで入って、肩が隠れるくらいのちょっと浅めの風呂と、それっきゃ無かったの。
だから48年だか9年に改装した時は、まーるいお風呂を作って、ちょっと浅めのお風呂を作って、1番奥に大人が3人くらい入るといっぱいになっちゃうような、ちっちゃい浅いお風呂。そこは子ども用にって、うんとぬるくしたの。でもそこが1番ね、人気あった。ぬるいからのんびりできていいわって(笑)
そんで丸い風呂は、こういう風に斜めにこうあって、泡が出るように。だから渦巻いてる感じ。そこへ泡が出る粉みたいのを入れると、昔の洋画で泡風呂に浸かってる高級な人がいるっていう、ああいう感じ(笑)そして、二、三時間で泡がだんだん段々消えてくるから、また入れて。すると泡がね、パチパチいう、ちっちゃい音がすんの。そんなのやってたね。
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まもる:武の湯さんは、お客さんが色々な物を買いに来る雑貨屋さんみたいな感じになってたっていうことを聞いたのですが…
武田さん:そうなのよ、コンビニなんてない時代だったから。それで、ほら、歯磨きがないかなぁ、とかさ。歯磨きだったら歯ブラシじゃない。だから、だんだん段々そういう風なのを置くようになっちゃった。
本当にね、色々なものがあったの。どのくらいかな、一間くらいのガラスケースいっぱいにいろんなもの。櫛とかブラシとか、ブラシも大きいのとちっちゃいのとかね。
まもる:お風呂に入らず、近くに住んでる人が歯ブラシ買いにきた、みたいなそういうことは…?
武田さん:ありますあります。だから「悪いけどトイレットペーパーひとつくれない?」とかって言う人もいて。だってコンビニが近くにないから。もう、切羽詰まってるんでしょうね、そういう人ってさ(笑)
まもる:武の湯さんの周りには、他のお店はなかったんですか?
武田さん:えーっとね、スナックがね、うちの近所には何軒かあって。あとは魚屋さんとか八百屋さんとか、そういうのは結構あったんですよ。
そういう日常のお惣菜っていうか、買うようなところはあったんだけど、コンビニみたいに生活用品も売ってるようなところは無かったの。
だから切羽詰まって、「明日のトイレのアレがないから、一つくれない?」とかさ。あとバブルの頃に、トイレットペーパーって買い占めて無くなっちゃった時があったじゃない?
まもる:あー、オイルショックの。
武田さん:そうそうそうそう。その時に、うちはランドリーをやってたから、洗剤も、おっきな段ボールで買ってたの。それを量って、小さい袋に詰めて、それを売ってたわけよ。
まもる:洗剤の量り売りしてたんですか。
武田さん:そうなのよ。小分けにされた洗剤なんて無かったの。それで「悪いけど洗剤だけ買える?」って来る人もいたの。
だってスーパーとかでは誰かが買い占めて、売ってないんだから。棚がみんな空になってるくらいだから。洗剤だけ買いに来る人もいた。
まもる:へー、面白い。
武田さん:ほんと、切羽詰まってるんだろうね、あーいう時って。
まもる:武の湯さんには仕入れ続けることはできていたんですね。
武田さん:そう。卸屋さんがあるじゃないですか。そこがいっぱい在庫抱えてて、いろんな物を注文すると持ってきてくれるのよ。
昔は銭湯がいっぱいあったから、シャンプーとかそういう雑貨類を卸す業者さんが何社もあったんですよ。
知り合いのお風呂屋さんが「あそこいいよ」って言ってたから、お付き合いのあった個人商店さんから、紹介されたところにしたの。
まもる:知り合いの銭湯がきっかけで変えられたんですね。
武田さん:話を聞くと、年に一度、旅行のご招待があるだとかさ、お芝居見物があるとかさ。だから、じゃあそういうのやってみようかって。
その前は個人でやってるお店に頼んでたんだけどね、そこはおじいさんが御用聞きに来るのよね。今月は、なんとなんとお願いしますって言って。昔の知り合いの知り合いみたいな感じ?で、だんだんその方が年取って、辞めちゃったから。
まもる:辞めちゃったタイミングで変えられたんですね。
武田さん:そうそうそうそう。とにかく、そう言う雑貨類もけっこう売れるから、卸屋さんでは、うちは良いお得意さんじゃなかったかな。
それで主人が亡くなってから、その卸屋さんの専務やってた方が、うちにアルバイトに来るようになった(笑)
まもる:えええ!
武田さん:「そんなお偉いさんをうちで使えないわよ」って言ったのね、私。
「そんなことないです。何でもやります。」って言うから、あの、掃除とか、の時は、女湯行かれないから、ちょっと、じゃあ見ててねって。番台を任せて。
まもる:あれ、フロントにしたのも結構早かったんでしたっけ。
武田さん:早かった。
まもる:専務さんはフロントで対応してたんですか?その時は番台だったんですか?
武田さん:フロント。だって、サウナつけた時にフロントになったんだから。やっぱり若い女の子だと、男の人が乗ってると入りにくいって言うのがあるから。年頃になると。
まもる:そうですよねー
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「銭湯は生活の一部ですよね」と言われることがあります。
実家が銭湯である僕にとって銭湯は「生活の一部」ではありましたですが、家風呂が普及した後に育った僕の友人たちは、銭湯を利用したことが無い人も多かったです。
そんな僕の友人たちも、部活帰りや旅行先などで銭湯を利用し、気持ちよかったという感想をSNSで投稿しています。生活スタイルは変わっても、時代を超えて人々を惹き寄せる何かが銭湯にはあるのでしょう。
そのため、武の湯さんが時代に即して中普請(なかぶしん)をしてきたように、「銭湯の価値」というものも中普請していくべきなのでしょう。
この記事を読んでくださる皆さんと一緒に、これからの銭湯について、考えていきたいです。
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