西森 有

読書が趣味の、ズボラな主婦です。 小説が好き。 記憶と本を結び付けるような読書感想文を書きたい。 自分の内側を表現することで、自分と向き合いたい。 コンテストに参加しながら文章力を磨いていきたい。 よろしくお願いします^ ^

西森 有

読書が趣味の、ズボラな主婦です。 小説が好き。 記憶と本を結び付けるような読書感想文を書きたい。 自分の内側を表現することで、自分と向き合いたい。 コンテストに参加しながら文章力を磨いていきたい。 よろしくお願いします^ ^

    最近の記事

    確固たる自分より、余白ある自分

    先日、誕生日を迎えた。 私たち夫婦間に、プレゼントというものは存在しない。 夫と付き合い出してから、私は彼の誕生日にちょっといい洋服を贈った。彼は一度着た後少々太り、それきりその服を着てくれなかった。 次の年は、欲しいものを尋ねた。お腹周りのダイエット用に乗るだけのマシンが欲しいと言うのでそれを贈った。彼は一度乗った後、それきりそのマシンに乗ることはなかった。引越しの際売りに出した。 その次の年、懲りずに欲しいものを尋ねた。強いて言うならバスタオルが欲しいと言うので良いバス

      • 「店員」という名の服を着て

        高校卒業後、就職することにした私。 これといってやりたい仕事は無かった。でも私には、どうしても克服したい難題があった。 それは、 人と自然に話せるようになりたい ということ。 常に誰かの顔色を伺い、ちょっと想定外のことを言われると混乱してしまい、妙な空気になった学生時代。人と仲良くなりたいと思いながら、人が怖くて近付けないというアンバランスさに悩んでいた。 そこで私が思い付いたのは、接客の仕事だった。 人付き合いも会話も下手だが、仕事として毎日取り組めば少しはマシになる

        • これでいいのだ理論

          私は娘を、無痛(和痛)分娩で産んだ。 痛みを和らげる選択ができるならそうしたいと思ったから。 和痛分娩とは、自然に陣痛がきてある程度子宮口が開いてから麻酔を入れ、麻酔量を調節しながら出産するというもの。私は出産した産院からそう説明された。 和痛分娩、と言うと伝わりにくい。まったくの無痛じゃなかったんだからね!と言い訳しているように聞こえても嫌だ。そんなわけで、人に話すときは無痛分娩した、と話している。麻酔を入れることに変わりはないし。 「無痛分娩した」と人に話したとき、「

          • 豚に真珠。猫に小判。コミュ障に義実家。

            結婚してから4回目の正月。 毎年恒例の義実家訪問を終え、帰りの車中で記事を書いている。 もっといい言い方はなかったのか、なんであそこで話を広げられなかったのか、食器は洗ったほうがよかったのか、お礼はちゃんと言ったのか、ご先祖様にお参りは?勝手に反省会して勝手に落ち込んでいる。 気が利かない陰気な嫁に、意地悪することなくあたたかく接してくれる義家族のみなさんには感謝しかない。 大好きだしもっと仲良くなりたいのに、ああ!このコミュ障め! 友だちも知り合いも極端に少ない、ママ友な

            止まっても止まっても、走り続けたらいい

            迷走、とはこういうことか。 文章について、私は悩んでいた。 書きたいことはたくさんあるのに、書いたそばから湧き上がる「なんか違う感」。 これが私の文章なの? 私の本音ってなに? 本の感想を書いていても、こうやってnoteの記事を書いていても、いい文章にしなきゃという見栄が前に出る。 私だけに書ける何かがあるはずだという傲慢くささ。もっといい表現をとこね回しすぎて遠くなっていく文章。 仕事でもないのに書く必要なんかないかもしれない。でも書きたい。私は私を表現したい。 コミュ

            使って初めて、価値やよろこびが生まれる。

            「価値観」は、さまざまな人の考えに触れ、経験を重ねることで広がりもするし新しくもなる。 「お金の価値観」も、もっと多くの人の考えに触れ、経験を重ねるべきではないか? 本や雑誌にある「お金の話」は「知識」が多い。 お金について、身近な人の考えや経験に触れる機会は案外少ない。 誰かの身近な人になれたら。 そんな思いで、30代前半主婦である私の「お金について考えること」を書いていきたい。 1.マイホームが欲しい 私は夫と子ども1人の3人家族。 子どもは来年3歳になる。そろそろ

            死は別れでも終わりでもない。

            エンドオブライフ 本屋大賞 2020年ノンフィクション本大賞受賞作。 終末期、在宅医療のありかたを考える一冊だ。 「命の閉じ方」をレッスンする。  200名の患者を看取ってきた友人の看護師が病を得た。「看取りのプロフェッショナル」である友人の、自身の最期への向き合い方は意外なものだった。  残された日々を共に過ごすことで見えてきた「理想の死の迎え方」とは。  在宅医療の取材に取り組むきっかけとなった著者の難病の母と、彼女を自宅で献身的に介護する父の話を交え、7年間にわた