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とうもろこしおじさん

「間に合わないだと!?ふざけるな!俺は昼飯も食べずに車で走ってきたんだそ!ほら!」

船乗り場の窓口で働く私に向かって、怒鳴るおじさん。ふたを開けられたお弁当箱は、たしかに手つかず。
しかし、船は定刻で出航してしまった。私に怒鳴られたとて、出航してしまった船を戻せるはずもない。
次の船は2時間後。
おじさんはぶつくさと文句を言いながらも、窓口を離れて行った。

それから幾日か経って、あのおじさんが窓口に現れた。
私は内心、げ、と思ったのだが、その日のおじさんは上機嫌。
私の隣の窓口に座るS子先輩と、何やら楽しそうに話をしていた。
その様子を見て「怖い人じゃなかったんだ」と安心した私。
おじさんが船に乗り込んだあと、S子先輩におじさんのことを聞いてみた。
S子先輩は
「あぁ、とうもろこしおじさん?ちょっと偏屈なところもあるけど、面白い人よ。たまに船に乗る常連さんで、時々とうもろこしくれたりするから、とうもろこしおじさんって呼んでるのよ」
と言う。ふむふむ。私の中であのおじさんは、常連の「とうもろこしおじさん」として、再インプットされた。

後日。再びとうもろこしおじさんが窓口にやってきた。
S子先輩はお休み。
大丈夫だろうか。私はドキドキしながらも、笑顔で言った。
「こんにちは。大人1名分の切符でよろしいですか?」
とうもろこしおじさんがしばし思案顔をして、私に言った。
「……あんたの笑顔には影があるね。腹の底から笑ってないだろう?」

一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
笑顔に影があるーー腹の底から笑ってないーー?

そうですね。などと無難なことを言って切符を渡したのだろうが、私はそのあととうもろこしおじさんに何と答えたのか。覚えていない。

図星だった。とうもろこしおじさんが言ったことは。

長く接客業をする中で「お客様に喜んでもらいたい」気持ちより、「クレームにならない対応をしよう」という気持ちのほうが大きくなっていた。
お客様は敏感だ。
起こってもないクレームに怯える姿など、お見通しだろう。
気付いてからというもの、自身の悩みや不安は一旦置いて、「楽しくて仕方がない!」というイメージで窓口に入るように。
すると不思議。
やる仕事は変わらないのに、なんだか楽しいのだった。
どんなお客様ともたちまち仲良くなってしまう、人たらしなS子先輩は、こんな目線で仕事をしているのかもしれないなぁ、と思った。

それ以降もとうもろこしおじさんは時折現れた。
S子先輩ではなく私が接客することもあったが、特にけなされることも褒められることもないまま。
私は結婚を機に退職した。
とうもろこしおじさんはもしかしたら、私に言ったことなど忘れてしまったのかもしれない。それでもいい。

ただの窓口の姉ちゃんに、言いにくいことを率直に指摘してくれたとうもろこしおじさん。
ありがとう。
お弁当はちゃんと食べて、元気でいてくださいよ。
腹の底からの笑顔で、私はこの文章をとじる。


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