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或る一生

 ついに、見つけてしまった。何の変哲もない朝、鏡に向かい合った瞬間だった。見間違いかと思い、そうであって欲しいという願望と共に二度見してしまった。二度見どころか三度見ても変わらずそこにあったため、観念することにした。白髪だ。

 もともと同年代の友人や年下の後輩でさえ当然のように白髪があると話していたが、私には別世界のもののように思ってしまっていた。失敬な思考である。そんな私の頭の中を見通してか、こつんと小突くかのように額の中央の生え際に一本悠然とお出ましになられた。

 白髪の伝説は知っている。一本抜いたが最後、その跡地からは二本生えてくるらしい。生まれ変わって再び生えるだけでは飽き足らず、仲間を増やしてくるあたりは、したたかとしか言いようがない。恐ろしい生命力である。

 いや、そもそも白髪は、加齢によって老朽化した毛髪ではなかっただろうか。若白髪は別格としても、通常は、言わば還暦や定年退職を迎えた後の悠々自適な隠居生活毛髪のはずだ。それなのに一本抜いたら二本になって戻ってくるというのは、第二の人生ならぬ毛髪生における熟練された技術としか考えられない。それほど元気なら再雇用も可能ではないか。

 諸々考えた結果、抜かないことにした。伝説を完全に信じたわけではないが、私に発見されてしまった、おそらく白髪第一号には、そのまま現役続行してもらうことに決めた。せっかく出会えた一本の白髪を大切に見守るのも悪くないだろう。私という名の雇用主の優しさと思っていただいても構わない。

 ただ、現役白髪との生活は思っていたより気を遣うことが多かった。

 私は日頃、前髪をカーテンのように下ろして額をほぼ閉め切っているのだが、なぜか件の白髪が大人しく引っ込んでくれない。額も眉毛も隠れるほど厚くした黒い前髪のただ中で、何本もの間にたった一本だけの白髪にも関わらず、目立つのだ。奥側に押しやっても、ちょっとした瞬間に目をやると、キラリと輝いて主張するかのように最前列へ飛び出してくる。お手洗いの洗面台を照らす照明は、私のたった一本の白髪をも輝かせるほど無駄に高性能なものなのだろうか。近頃は洗面台を覗く度、白髪を気遣う以外のことはしなくていいのだろうかという疑問も頭をかすめてくる。

 人間は年を取ると、少々大胆になったり強くなったり大らかになったり、あれやこれやと性質が変わってくると聞く。私の白髪は、黒髪時代に比べて自己主張が強く、目立ちたがりに変わったのかもしれない。否定するつもりはないが、昔の奥ゆかしさを思い出して欲しいと切に願う。目立つのはとかく気になるのだ。一歩下がって後進に道を譲ることも検討してほしい。

 そんなことを思いながら、一体どういうつもりで輝いているのだと白髪に話しかけてみる。特に言語での回答は得られなかったが、しばらく見ているうちに、唐突にあるイメージが浮かんできた。

 夜空に登場する流れ星だ。

 流れ星は星の最期の状態で、最も強く輝く姿なのだという。輝くのみならず、もし見つけた場合は、消える前に願い事を三回唱えれば叶うという高難度の伝説があった。もう伝説に振り回されたくはないのだが、これは幸運の伝説なので個人的な価値判断で承認していた。

 そう、幸運なのだ。星の極限の晩年ともいうべき一瞬の輝きを見つけることは幸運であり奇跡の出会いなのだ。星よこれまでありがとう。よろしければ流れるついでに願いを叶えてください。星の気持ちも考えず欲望をギラギラと輝かせてしまうが、白髪も最期の輝きと捉えるならば、貴重なものだと思えるかもしれない。

 これまで何十年も頑張ってきた黒髪の余生、白髪時代。別にお礼を言う程ではないが、多少の自己主張は大目に見よう。もしかしたら白髪第一号自身も今頃、これまでの髪生を静かに振り返ってしみじみしているかもしれない。これからも洗面台を覗く度、うっかり先頭に出ていないか確認し、現役黒髪の後ろへと押し戻しながら気遣う日々を過ごしていこう。

 と、思っていたのに突然気づいてしまった。ある日、前髪の中央付近をかき分けたところ、第一号の姿が忽然と消え、代わりに薄く短い幼子のような白髪が二本鎮座していることに。裏切りは突然訪れる。私には無言での世代交代を許可した覚えはない。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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