詩 知里幸恵さんによせて
あの人が19で世を去ったとき
残した言葉の身体は
私が一生分かけて紡いでも
髪の毛1本にも満たないでしょう
あの人が目を閉じたとき
まぶたの裏に見たものは
私がなんど眠りについても
夢見ることはないでしょう
悲劇と礼賛を背負った
その小さな身体には
虐げられ
強姦され
殺された
幾人ものアイヌの血が
流れていたのでしょう
そしていまも
その血はどこかの
生きのびる者の
身体中に
流れていて
その血はいつの日も
生きている者の
手によって
流れるでしょう
あなたの言葉が私に届いたとき
その激しさと穏やかさは
既にカムイのものでした
ああ、あなたが生きているならば
その唇からほとばしる
樹液のようでいて毒針のような
あなたの言葉に
私のつたないすべては
触れることができたのでしょうか
今もあなたは
うたをうたって
カムイと人間を
繋いでいることでしょう
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アイヌ研究を始めるにあたって、研究会の課題図書で読んだのが知里幸恵さんの「アイヌ神謡集」だった。知里幸恵さんはもう亡くなっている。だが、彼女の記したカムイユカラ(神謡)は、その圧倒的な身体性をもって、私の目の前に蘇ってきたように感じた。
この詩は「アイヌ神謡集」を読み終えたとき、自分の身体から生まれた言葉を連ねたものだ。彼女の紡いだ言葉、つまりは彼女が周囲のアイヌから伝承した言葉の豊かさを表現したくて、詩を書いたが、私の言葉はあまりにつたない。
もしあなたがまだ「アイヌ神謡集」を読んだこと、あるいは口ずさんだことがないのなら。私の陳腐な言葉では表現しきれない、まぎれもなく美しく豊かな世界が、あなたにとって未知のものであるということだ。早々にその扉を開くことをおすすめする。
和人である私は今まで「アイヌについて考えなくてよい」という特権性を持って生きてきた。他ならぬ私の手でアイヌの血は流されてきた。和人の規範は暴力だ。これからも私がもつ暴力性と特権性は変らない。
自分の特権性について語るとき、口を噤みたくなるけれど、その姿勢は、私の憎む特権者の姿勢そのものだ。だから私は、これからも脱植民地化を叫び続けたいし、自分を脱植民地化し続けたい。
知里幸恵さんの言葉に出会えてよかった。
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