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変わってもいいこと2023/07/01



子どもが初めてプールに入るから西松屋で水着を買ったよと友達が言っていた。かわいい黄色の水着。
7月はプール開きだと聞き、思い出した写真がある。
「プール開き」って季語かな?

🏊‍♀️

変わることが好きでテーマだ。

朝飯→化粧→歯磨きじゃなくて、
朝飯→歯磨き→化粧に変えたり、

水曜日ヨガ→土曜日ヨガに変えたり、

適当日に洗濯→2日ごとに洗濯に変えたりすること。

ところがどうしても変えられないことがある。
それは、決まった時間しか職場にいられないということだ。
つまり、余分な仕事を引き受けることができないということで、時によると、その思いは自分をも縛り付けて苦しくさせる。

すべてをお金(時給)に換算する価値判断も貧しいと感じる。だが、今のところ自分を保ちながら働いて生きていくにはこの方法しかない。

「自分」とは、時間のことだ。

私は、職場でベビースターラーメンを袋を口に持っていって逆さまにして食べないし、空き時間にスマホでドラマを見ることもない。昼休みであってもネットニュースさえ見ない。
それは、自分がしたくないというだけで、他の人がすることに何ら思うことはない。
家では全部やっている。むしろ、みんなより全部やってると思う。

つまり、外と家の自分が完全に別物なのだろう。混じり合うことなくはっきりと分かれていると自認している。
だから早く帰りたいのだと思う。外にいるのは14:30が限度だ。だってそれから家に帰って風呂と夕飯済ませて洗濯したら、寝るまでの時間って残りあと何分? 私の時間は???

それで、いつも早く帰ることが主題だ。
ところが、今回の期末テストは、余分な仕事を仕事を自らやった。問題【四】を作ったし、解答用紙も作ったし、問題冊子の印刷も途中までだけどした。
どうしたんだい?

時給に換算されない仕事はしないんじゃなかったの?頑張ったところで来年雇用されるわけでもない。
なぜ???

それは、よく考えたら私がやる方が早かったのと、合間の時間にできたのと、やってあげようかなと思ったから。

明らかに業務過多な人を見かねたのかもしれない。
というより、相手がやるのを待ったり、無言で状況を想像しているよりも、ずっと健康的だからだ。
もちろん待ったし、無言で想像した。
でも、だいたい外れた。

実際は地味な展開だった。
ささっと仕上げて「作りましたよ!」と持って行っても、相手にはさして感謝されなかったのが印象的だった。わからない。それは表面的なものなのかもしれない。
感謝は、されたらうれしいが、その表し方は人それぞれで、みんなが私のように瞬間に反射のようにして全身で喜びを表すわけじゃないのだろうと思えた。
つまり、私は感謝がほしくてやったわけじゃないということ。
じゃあ何のため?
健康的な道筋のため! だ。
私の一助によって物事が早く順調に済むのならいい。

公平さを保って正確に書いてみると、相手は、感謝の表現には乏しくとも、こちらが言葉で説明して意図や気持ちを伝えると顔がほころび、表情に動きが見えた。素直な人ではあるらしい。
じゃあもっと、自分でも言葉を使ってその思いを説明してくれよとは思うが、すべてはそれを今までしてきたかの「歴」によるからな。この交流で何かが変わるかもしれない。

さんざん時間外労働はしないと心に決めておきながら、今回自分が少し変わってきているのはなぜか考えた。私にも頑なで譲れない部分は多くあるのだが、案外簡単に変えることもあるのだと知る。
きっと、相手によるのだろう。それはとてもいいことのような気がした。

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