天職は、職業を探すのではなく、自分がずっとなんとかしたいと思っていたコンプレックスと繋がった時、降りて来る
はじめまして。
グラフィックファシリテーター(R)のやまざきゆにこと申します。
最初のnoteの自己紹介をお題「天職だと感じた瞬間」で書きたいと思います。
天職と出逢ってグラフィックファシリテーター(R)という職種をつくった話。
と言っても、2006年当時「グラフィックファシリテーター」という職種はなかったので(職業として会議や講演会で絵を描く人が日本には居なかった時代)、天職と思える職と出逢ったとは言えないかもしれませんが、まさに【①】#天職だと感じた瞬間
あの日、企業に頼まれるがままに議論の中身を絵に描き続けた合宿2日目の終わりに、「こんな疲れない仕事があったんだ!」「あ、天から仕事が降ってきた」と思わず天を仰いで、両手を突き上げ、あの、光を浴びた瞬間の話を書こうと思います。
先に1つ誤解されがちなので書いておきますと、「絵を描くのが好きだから、好きを仕事にできる天職と出逢った」という話ではありません。私は「絵を描く」ことが好きでもなければ、得意だと思ったことはないく、正直、絵を描くよりも喋ったほうが速いとすら思ってます。ということで大学を卒業して、就職活動をして入社した企業で、一生そこで働くつもりでいた、世の中によくありそうなキャリアを歩んだ人間が、こんな天職に出逢っちゃったという話です。
【②】天職になぜ出逢えたのか。これから天職と出逢いたいと思っている人には、「こんな選択をしたから天職に出逢えた」という話のほうが、何かのヒントになると思うのですが(いや、一つもヒントにならないかもしれないけど)、それも書き出すとめちゃくちゃ長くなるので、【②】については別の記事でいつか書こうと思います。この記事は【①】について書きます。
※そもそも「グラフィックファシリテーター(R)」って何?具体的に何をやっているの?という方はこちらのサイトをご覧ください→https://www.graphic-facilitation.jp/
海外で講演内容を絵に描ている人が居る。「ユニならできる」「へ?何がすごいの?」
そもそも「海外に講演内容を絵に描いている人が居る」と知ったのは、2005年。会社員時代からお世話になっている先輩からでした。「アメリカのカンファレンスに参加したら、講演内容を絵に描いている人が居たんだよ。その絵が休憩時間になると廊下に出てきて、参加できなかった別ブースのカンファレンスの内容も一目で分かるんだよ。絵の力はスゴイと思ったよ。今我々の議論には絵が必要なんだよ」と、先輩は興奮気味に現地で撮影してきた、たくさんの写真を私に見せてくれました。そして、こう言いました。「日本にはまだ居ないようだけど、ユニなら出来るんじゃない?」※ユニとは私の呼称です。やまざきゆにこは小学生のときから「ユニ」とか「ユニコ」と呼ばれてます。
その時の私はというと、ちょうど会社員を辞めて、絵を学べる私塾に通い出していたときでした。それを知っていた先輩が「ユニなら出来る」と言ってくれたのです。でも、写真を見せてもらった最初の感想は「へ?こんな普段の私のノートみたいなものでいいの?」実は、私塾では私の落書きのようなマンガやイラストは否定され、そこはアートの世界でした。10歳も下の子たちのアーティストとしての才能を目の当たりにして、手放しでスゴイとしか言えない最中だったので、余計に、普段のじぶんで描けそうな会議の絵を見ても、正直「ふ~ん、何がスゴイの?」という感覚でした。
それでなくても、その先輩は社内でも一目置かれた優秀な方で「絵が無くても」メンバーをまとめてバリバリ仕事をしていました。そんな先輩が「会議に絵が必要だ」と言っている意味が、その時の私は全く分かりませんでした。「何をそんなに興奮してるんだ?」「みんなも、ペンを持って紙に書き出さないだけで、頭の中ではふつうに描いてるでしょ?」。
ちょっと話がソレますが、そもそも私が私塾に通い始めた理由は、絵が上手くなりたかったからではありません。会社員時代に「どうも私の右手が文章だけじゃなく『絵を描いて』伝えたがっている」「私の右手が『絵を描くという手段』を手に入れたがってる」という、「右手の衝動」が抑えられなくなってきたときに「美大受験のような勉強をしなくても無試験で入学できる私塾」を見つけて、「これだ!」と後先考えずに会社を辞めて飛び込んでしまっただけ。(と書いても意味不明ですね。詳しくは【②】で書きます)とにかく、わたしは「一度ちゃんと自分が手を動かしてみれば、もっとイラストレーターさんやデザイナーさんたちといいコミュニケーションがとれるかも」という程度の感覚だったのです。自分の普段の落書きよりも、あくまでもプロの描き手が生み出すものに価値があると思っていました。
そんな、私のノートみたいな絵の「何が良いのか分からない」まま、「早速、会議に絵を取り入れたい」と言われ、ある事業部が新規事業を検討する1泊2日の合宿に、絵筆を持って参加することになりました。合宿を企画するコンサルタントの方たちと、具体的なプログラムの内容や投影スライドの中身まで、一緒に創り上げていきました。誰も「議論を絵に変換する意味」なんて分かっていなかったので、絵を描くにはどんな進め方がいいのか、描けた絵をどう使うと効果的なのか、すべてが手探りでした。ただ、いくら打ち合わせをしても、結局、私は「会議で絵を描くことに何を期待されているのか」よく分からないまま当日を迎えていました。それがまさか、自分にとって「一生の仕事」になるなんて。思ってもいませんでした。
「議論を絵にして何が嬉しいの?」と思っていた人間が、生まれて初めてみんなのために描いてみたら
さて、いざ合宿が始まってみると、私の気持ちがどんどん変わっていきました。初日の午後、昼食を終えた皆さんが、午前中の議論を描いた「絵巻物*」の前に立ち止まって、立ち話を始める。(*壁に張り出した模造紙に、左から右に大量に描いていくのでその状態を「絵巻物」と呼んでいます)。初対面のメンバー同士が、絵巻物の中の絵を指差して楽しそうに話をしている。なかなか席に座らない。午後も、議論の途中に皆さんが何度も席を立って絵巻物の前に集まり議論を深める。これまでの話し合いを振り返り、見失っていた目標を再度確認する。難しい顔が笑顔に変わる。休憩時間に静かに一人で絵巻物を見ている人もいれば、次の日の朝は部長が一人、珈琲を飲みながら絵巻物の前に立っていました。
部長さんは「これまでなら流れてしまっていた前の日の議論や気づきが、次の日にもありありと振り返ることができていいね」とおっしゃる。「振り返り内省を深める効果がある」「俯瞰してみると見落としていたものも見えてくる」「お互い考えていることがバラバラなことも、絵巻物をタタキ台に話し合うと理解が深まる」皆さんが口々に絵巻物の効果を教えてくれる。私は、皆さんの止まらない発言を拾うのに必死で、具体的にどう役に立っているのか2日目の朝になっても全然分かっていませんでした。でも、絵を描けば描くほど、みんなが笑って集まってくる。絵に描けたことを説明すればするほど、みんなが新たな視点や気づきを語りだし、新事業のコアに近づいていく。なんだかもうワクワクが止まりませんでした。
天職と出逢うと本当に天から後光が差してくるんだ(実際は汚い会議室の天井だったけどね)。
そんな合宿2日目の夕方、私は絵筆を通して、衝撃的な体験をしました。今となっては日常茶飯事な現象なのですが、それは「絵巻物が教えてくれる」という体験。
合宿最後のプログラムで、3グループがそれぞれ考えた新規事業案をプレゼンするという時間でした。それぞれのプレゼンを聞きながら、事業案を絵に描いていたときのこと。「絵巻物に描けない世界」と出逢ったんです。1つめのグループのプレゼンでは、その新サービスを受ける企業と、その先のお客様の笑顔までが、具体的なセリフと共に描けました(つまりBtoBtoCまで描けた)。でも他の2グループの発表からは、新サービスの提供先の企業しか描けず(つまりBtoBのビジネスモデルしか描けず)、その先にいるお客様(C)が描けず、空白になってしまったのです。
しかし、発表者と審査メンバーとして聞いていた他の人たちは、価格設定や参入障壁、マーケット規模などの話をしていて、そのことには気づいていない。私は想わず絵筆を持ちながら「空白になっちゃった」「カスタマー(C)が描けてません」「カスタマー(C)まで描ける話合いをしませんか!?」と言っていました。けれど合宿はそこでタイムアップ。皆さんも前日の夜中まで議論していて疲れ切っている。その場でその続きを議論することは(描くことは)できませんでした。
でも、私はというと「えー!もう終わっちゃうの?!」「まだまだ描き足りない」と絵筆を振り回していました。自分でもよく分からなかったけれど、とにかく身体の中からウズウズ「もっともっと描きたい」が湧いてきて、勝手に両手が上がって、気づいたら天を仰いで叫んでいました。「こんな疲れない仕事があったんだ!」その瞬間、眩しい光が天から降り注いできたんです。その時思ったんです。「あ、天から仕事が降ってきた…」「天職って、こうやってまさに天から降ってくるんだ」と。
…と、こんなふうに一人熱くなって書いていては、読んでいる方に「話盛ってない?」とか「ふ~ん、それで?」と言われてもおかしくない温度差があるはず。冷静に思い返せば、汚い会議室の天井を見上げれば、そりゃ蛍光灯が眩しくて、光を浴びた感覚になっちゃっただけかもしれません。実際、1人、自分で自分にビックリして大騒ぎをしている私を横目に、みんなは会議室のテーブルを元の位置に戻していました。でも、あの時のあの体感覚を思い出すと、今でも熱くなってしまうんです。頭から光にふわ~と包まれたとき「これがまさにcallingって感じなんだ」と。そして同時に思っちゃったんです。「これを本業にする」と。決めたというより、決まっちゃったんです。
天職は、職業を探すのではなく、自分がずっとなんとかしたいと思っていたコンプレックスと繋がった時、降りて来る
冒頭で、「絵を描くのが好きだから、好きを仕事にできる天職と出逢ったわけではない」と書きました。絵を描くことは私にとっては単なる手段の1つ。では、何がピタっとハマって「天職って、こうやってまさに天から降ってくるんだ」と思ったのか。この時点では、それをきちんと言葉には出来ていませんでした。でも今なら書けます。一言で言うなら、会社員時代からずっと「貢献したいのに出来ない」でモヤモヤしいたことが「絵筆を持てば出来る」と全身で体感したから。それは自分でも自覚していなかった「私が本当にしたかったこと」を教えてもらったとも言えるんです。
私は会社員時代、何か企画を形にするのに、一人残らず全員のモヤモヤした想いを、一人一人に聞いて、うまくまとまらない、もつれた何かを、紐解いて形にしていくことをしていました。当時は無意識でした。誰もがそんなふうに仕事をしていると思い込んでいたんです。クライアントさんや生活者の声を取材するときも、うまく言葉にできないけれど、その人の心の中にある想いを、聞き出して、聞き出して、すべてを一字一句残さず、拾って、拾って、拾ったときに、見えてくる何かが、企画を形にしてくれました。
ただ当然その過程では、うまくいかないことだらけ。「ユニは何を言ってるのか分からない」「ダラダラ言わずに結論を先に言え」「そこまでその人の意見は汲まなくていい」。当時の私は「みんな、頭の中で同じ絵を思い描いている」と思い込んでいたので「どうして分かってもらえないんだろ」「この意見は流しちゃいけない大事なことなのに、どうして流されちゃうんだろ」「私がもっと完結に端的に話せたら伝わるのかな」と、今なら言語化できるのですが、自分がそんなふうにモヤモヤしていること自体に全く無自覚でした。
それが合宿の2日間で「モヤモヤした議論の中身を絵で描いてみんなで解いていく」という体験を通して、「自分が無自覚のうちに、いつもなんとかしたいけど上手くできないでモヤモヤしていたこと」が明らかなって、同時に、一気にそのモヤモヤを晴らせる手段と出逢ったんです。「自分が本当は何をしたいと思っている人間なのか」を教えてもらった出来事でした。その日まで私の中でずっとぐるぐるしていた「貢献できないダメなじぶん」が、突然、「これなら貢献できるんだ」とつながっちゃった。しかも、この雑で汚く殴り描きの絵でもいいよと言ってくれる。私を会社まで辞めさせた「右手の衝動」ってこういうことだったのかと。「天から降ってきた」と思ったときは分かっていなかったけれど、今はハッキリ言えること。
ちなみに、合宿の後、その事業部の部長さんから「絵巻物は事業部の壁に貼ってるよ」と写真付きのメールをいただきました。「C」が描けなかった部分も眺めながら、新規事業の議論を進めていかれたそうです。それは「絵巻物って、描いた後にこそ仕事をするんだ。だから絵巻物に残すんだ」ということを一番最初に教えてもらった経験です。
海外に行って学ぶべき? でも、なんか違う。
「これを本業にする!」と決まった日から、それまでやっていた仕事は一切受けず、「会議で絵を描く仕事しかしない」と決めました。それから、さまざまな会議やワークショップに立ちあい、絵筆を動かしていくうちに、肩書きが必要になりました。日本でやっている人はいないし、説明しても分かりにくい仕事なので、私自身も肩書きが欲しくなりました。
もし、先輩から話を聞いたとき、そのまま海外に学びに行っていたら「グラフィックレコーダー」と名乗っていたと思います。実際、「海外に行って学ぶべき?」と考えました。「海外には職業として講演内容を絵に描ている人たちが居る」と聞かされたら「ふつうの人なら海外に学びに行くって言うのかな」と。実際、アメリカのグラフィックをパッと見た印象は、どれも綺麗で完成度が高く、文字は綺麗に横書き、まっすぐ、箇条書き、誤字脱字無し。且つ、色合いが美しくアートに近い。私のノートの書き方といえば、罫線なんて無視、斜めに書く、下から書く、誤字脱字満載。そこでとりあえず、先輩から写真データをすべてもらい、それらアメリカのグラフィックを一つ一つなぞってみました。合計して10枚くらいあったと思います。すると色んな違和感に気づきました。
まず、どれも「めちゃくちゃ文字が多いなあ」。何よりそれらの文字をなぞっていくと抽象的なキーワードしか並んでない。Future、Discovery、Leadership、Creativity、Designing、Innovative、Effective、Way、Goal、Together、Context、Storytelling、、、「え?こんなフワっとした情報で十分なの?!」私のノートとはだいぶ違う。「私が聴き手だったら、具体的な講演内容が分かる投影資料が欲しくなるけど、みんなはサマリーのような一枚絵で十分なの?」。文字だけ眺めていると、講演会で誰もが言ってそうなキーワードが並んでいるようにしか見えなかったんです。「これで問題は解決するのか?」
さらに絵をなぞっていくと、講演者の似顔絵はやたらリアル(めちゃくちゃ上手、多分似てるはず)。一方、前述した抽象的な文字はやたら装飾されている(影をつけて立体的にしたり、美しい曲線のカリグラフィーだったり)「そんなの描いている間に、もっと描ける内容あるのでは?」。そして肝心な絵もなぞってみると、挿絵のような絵(例えばアイコン、握手する手だけの絵とか、電球を光らせてヒラメイタ!みたいな絵とか)が並んでいる。もし学びに行って「こういうふうに描いてください」と指導されても「逆に描けないかも」「身体が拒否反応を起こしそう」と思ってしまったんです。すべてのグラフィックをなぞり終わって、さいごあっさり「学びに行く必要はないな」と思えたのは、「そもそも、こんなアメリカンコミックな絵、私には描けないや」でした。
「グラフィックファシリテーター」という職種名を創って、商標(R)をとった経緯。
結局、絵の練習は一切せず、いきなり前述の合宿に参加したわけですが、やってみて分かったこと。それは、もし海外の描き方を真似して練習して臨んでいたとしても、議論が始まりリアルタイムに描かなければいけない状況に追い込まれたら、もう頭なんて使っている暇などなく(つまり学んだルールを思い出してそれに従うということを考える暇はなく)、脊髄反射で描くしかなく「自分が描きたいようにしか描けない」ということでした。
結果的に、海外のグラフィックレコーダーという人たちとは、私は描き方も違えば、話し合いへの関わり方も全く違った。すでにそのときから今の「3ステップ」で進めていたので、じぶんのスタイルにふさわしい職種名をつくろうと思うようになったのです。
3ステップとは、①まず黙って話の中身を絵にする(のちにこれを「step1 グラフィックレコーディング」と位置付けました)②ある程度描いたら途中で手を止めて「皆さんのこれまでの発言をこんな絵に描きました」と解説をする(のちにこれを「step2 グラフィックフィードバック」と名付けました)。私の解説と絵巻物をタタキ台に、皆さんに絵巻物の前で対話をしてもらう。(のちにこれを「step3 グラフィックダイアログ」と名付けました)。「単なる議事録ではなく」「簡単には解けないモヤモヤした問題をみんなで解くために描きたい」「描いたら黙っていられない、見えてきたことをみんなに伝えたくてたまらない」そんな私のスタイルにぴったりの職種名って?
似たような描き方をしている人はいないのか、海外の新しい取り組みに詳しい人たちに聞いても見つかりませんでした。自分で職種名を創ると決めてからも「これってイラスト?漫画?デザイン?絵巻物?グラフィック?」と悩んで、英語に精通している友人知人に「他にもっとふさわしい英語ってある?」と相談していました。また今となっては「ワークショップ」や「対話」という言葉は当たり前になりましたが、当時はまだ初めて体験する人が多かった時代だったので、そんな新しい場づくりに日本で挑戦する人たちにも相談していました。
そんなとき出逢った「ファシリテーター」という職業をしている方に「ゆにさんのそれってまさにファシリテーターがしていることだよ」と教えてもらったんです。その時、生まれて初めて「ファシリテーター」という言葉を聞いた私は思わず「え? グラデュエーター?」と聞き返したら「いや、ファシリテーター」「え?ファシリエ~ラ~?」なんだかおさまりの悪い音だなあと思ってました。でも「ファシリテート=促進する」という意味らしい。聞けば聞くほど確かに、絵巻物がその場に引き起こしていることはファシリテーターっぽい。
そんなこんなで悩みながら、2006年に「グラフィックファシリテーター」という職種名をつくりました。そして2008年2月には「グラフィックファシリテーターgraphicfacilitator」が商標登録がされました。
そして今日現在2022/10/22の今もなお「天職だ」と思ってグラフィックファシリテーター(R)やまざきゆにことして活動しています。大変長くなりました。ここまでお付き合い頂いた方、本当にありがとうございます。天職と出逢いたいと思っている方のために【②】なぜ天職と出逢えたのかという話は別の記事で書きたいと思います。いつになるか分からないけど…(^^;
【御礼:noteさま&日経さま】noteを始めるきっかけとして、そして日経新聞のファンとして、回のお題「#天職だと感じた瞬間 」は、グラフィックファシリテーター(R)やまざきゆにことして、とてもピッタリなお題でした。ありがとうございました。
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