私は今、「生き直し」をしているみたいです。

私、いま、生き直しをしてるような気がする。最近、もっぱら湧き上がってくるのが、この感情だ。

離婚をして、広い一軒家でひとりで住むようになった。私はひとりが苦手だ。いままで、ずっとそう思って生きてきた。現に、旦那が出て行く前は孤独感に堪えられるか不安で、離婚が決まっているというのに、一緒に外出していた。周りから見れば、問題のない仲良し夫婦に見えていただろう。

そんな日を数ヶ月間続け、遂に旦那が出て行って、私には後悔が溢れてる一軒家と3匹の猫たちが残った。

初日はたまらなく寂しかった。ひとりで食べるご飯の味気無さと会話をする人がいないという孤独感に勝てない。そう思った。だから、友達とご飯を食べにいく回数や外出する頻度が増えた。人ごみの中で誰かの声を聞いていると、孤独感が少し紛れる気がしたから。

でも、意外なことにそんな寂しさや孤独感が苦しかったのは最初のうちだけだった。日が経つにつれ、完全にひとりという空間が妙にラクに思えるようになった。

結婚するまで、ずっと実家で暮らしていた私は何をするにも誰かの視線や気持ちを考えていた。例えば、電気をつけたまま寝落ちをしようものなら、父から激しく攻め立てられた。「電気代、いくらかかるとおもっとるんや。よく考えろ」と。友達と盛り上がりすぎて帰宅時間が遅くなると、母からの「いまなにしてるの」「早く帰ってきなさい」というメールに恐怖を感じた。帰らないといけないけれど、帰りたくなんてなかった。

子どもの帰宅が遅くなると、父はあからさまに機嫌が悪くなり母に当たった。だから、母は父の機嫌を損ねないように、子どもを管理した。我が家の家族のすべての行動を握っているのは父。私は父の駒。いつもそう思っていた。

自分の気持ちを言ったところで尊重なんてされない。父の意見や考えと少しでも違えば、「やってはいけないこと」になる。それは我が家の暗黙のルールだった。

だから、私は睡眠薬をガブ飲みした時以外、実家で「気が付いたら寝落ちしちゃってた」というあるある体験をしたことがない。見たいテレビを深夜遅くまでリビングで見ていられたこともない。時間を気にせず、お風呂にゆっくり浸かったこともない。自分のペースで買い物をゆっくり楽しんだこともない。「なにしとるんだ」「いつまでやっとるんだ」「時間考えろ」――そういう言葉を言われないよう、常に焦って、父の機嫌を損ねないように生きてきた。それが今になって、ようやく分かった。

今振り返れば、自分の時間感覚を持てないから、旦那と生活している時もどこかで他人の時間配分に合せながら暮らしていたように思う。最も家事が効率よくできる適切な時間に焦って入浴し、帰宅時間が遅くなると怒られなんてしないのに罪悪感が芽生えて不安になった。自分というものはどこにあるんだろうって、いつも考えてた。

だから、嬉しかった。今更でも、自分が苦しかったことに気付けて。そしてようやく、自分のペースで時間を使えるようになって「生活って楽しい」と思い始めた。誰の目や意見を気にせず自堕落に溺れたり、その時にやりたいことをちゃんとやれることが嬉しかった。私はずっと自分が分からなくて、日常を送るのが苦痛だった。お風呂に入るのも、トイレにこもるのも、起きるのも眠るのも、全部全部、他人がどう思うか考えながら行ってきていたから、焦って緊張して、疲れきってしまうだけだった。でも、もう、そうしなくてもいいんだと思えたら、肩の力が抜けて、夜にちゃんと眠れるようになった。

きっと私は、誰かと一緒に暮らすのには向いてない社会不適合者なのだと思う。足音やドアを開ける音ひとつで目を覚ましてしまうほど、誰かと暮らす生活に緊張してしまうから。でも、これからひとりの空間で「生き直し」をすることで、誰かと暮らす日常も悪くはないと思えたらいいなと思う。

人間よりも3匹の猫たちのほうが信じられ、心が許せる自分を変えていけたら私はちゃんと、私になれる気がする。




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