古川ゆか

なんとかフリーライターやってます。

古川ゆか

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マガジン

  • 複雑性PTSDの治療経過まとめ

    2023年5月から始めた、複雑性PTSDの治療経緯やその中で自分が思ったこと、起きた変化などを書いていきます。

  • 「私」という物体

    ライターとしての私とライター以外の私

  • 本音の声

    ドロドロも悲しみも、全部ここにある。

  • 単心房・単心室症+無脾症のコロナ闘病記

    単心室・単心房症で無脾症という先天性心疾患持ちの私がコロナに罹患した時の治療経過をまとめました。

最近の記事

自分が、これまでの自分と今までの生き方を受け止めて前を向けば、今の私が身を置く場所はこんなにも温かくなるんだな。人の何が怖い?人は何で怖い?最近、よく自問自答しては「人はそんなに怖くないのかもしれない」に辿り着く。

    • 私じゃなければ楽だったけど、「私」だったからこんなにも愛せるんだろう。

      カウンセリング29回目。今回も、インナーチャイルドワーク中に見えたのは、インナーチャイルドみんなが小島に揃った光景。 遠いけれど、右前方に見えたのは手を振る母親の姿。笑顔だけど、あれに騙されて、そっちに行ったらまた心が苦しくなるから嫌だなとインナーチャイルドの愛が思ってた。 この世界は変えられると、カウンセラーから背中を押されてとった行動は、インナーチャイルド同士での相談。どうやって、母親を見えないようにしようかと大人の私、憂、愛、空で考える。 相談中、笑いそうになって

      • 書くことは、生きることだった。 私 を書いて 言葉 を書いて 台詞も書いて きれいな嘘も書いて 心を描いて  生きてきた。

        • 自分と向き合うことは、自分を管理したり監視したりすることじゃなかったし、自分を責めることでもなかった。どんな気持ちも守ることだ。歪みがあるうちは歪みに気づけないから苦しい。自分の基準が歪んでいる、歪まされたことに気づけるのは、普通が当たり前と呼べるほど身近にあるものになってから。

        自分が、これまでの自分と今までの生き方を受け止めて前を向けば、今の私が身を置く場所はこんなにも温かくなるんだな。人の何が怖い?人は何で怖い?最近、よく自問自答しては「人はそんなに怖くないのかもしれない」に辿り着く。

        • 私じゃなければ楽だったけど、「私」だったからこんなにも愛せるんだろう。

        • 書くことは、生きることだった。 私 を書いて 言葉 を書いて 台詞も書いて きれいな嘘も書いて 心を描いて  生きてきた。

        • 自分と向き合うことは、自分を管理したり監視したりすることじゃなかったし、自分を責めることでもなかった。どんな気持ちも守ることだ。歪みがあるうちは歪みに気づけないから苦しい。自分の基準が歪んでいる、歪まされたことに気づけるのは、普通が当たり前と呼べるほど身近にあるものになってから。

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        • 複雑性PTSDの治療経過まとめ
          32本
        • 「私」という物体
          77本
        • 本音の声
          25本
        • 単心房・単心室症+無脾症のコロナ闘病記
          4本
        • 8本
        • 顔面神経麻痺の治療記録
          27本

        記事

          やっと、ここからが始まりという感じがある。スタートラインにようやく立てたような。

          やっと、ここからが始まりという感じがある。スタートラインにようやく立てたような。

          やっと、「今」に来れた日。

          今日は、とても大事な日だった。カウンセリング28回目。 最近は結構、プライベートが充実してて、工作したり、人生で初めてオリンピック見てたりしてた。絶対興味を持つことがないと思ってたスポーツの世界を楽しんでる自分は好き。いままでは、どうせ自分にはできない世界だという思いが先に出てきて、みるのが苦しかったから。 来世はやる専になるぞ。だから、今世は見る専のガチ勢でいいじゃん、と心に折り合いをつけれたことが大きかった。 今日も何を話そうかなとかは、なんも考えずにカウンセリング

          やっと、「今」に来れた日。

          仕事がうまくいかないなと弱音を吐いた時、「じゃあ、この1年は休みの年だと思おうよ」と捉え方を変えるきっかけをくれたパートナー。その考え方が好きだと思った。ふとした時、休み方を忘れそうになる時、彼は心の守り方を教えてくれる気がする。

          仕事がうまくいかないなと弱音を吐いた時、「じゃあ、この1年は休みの年だと思おうよ」と捉え方を変えるきっかけをくれたパートナー。その考え方が好きだと思った。ふとした時、休み方を忘れそうになる時、彼は心の守り方を教えてくれる気がする。

          狭い穴の中でうずくまるあの頃の私に「今の世界」は眩しすぎる

          27回目のカウンセリング。今回は前日から行きたくなさすぎて、しんどかった。最近はカウンセリングが間近に迫ってきても、「カウンセリングあるから仕事頑張ろう」と思えたり、「ああ、そういえばもうすぐカウンセリングだったな」と気づいたりして、カウンセリングに行くことをあまり嫌だと思わなかったのに。 このところ、愛ちゃんパートだと感じる悪夢が苦しい。夜中に数回、目が覚めたり、呼吸が荒くなって目が覚めたりと、夢でフラッシュバックを体験している感覚。 実際に起きてない。今いる場所は、あ

          狭い穴の中でうずくまるあの頃の私に「今の世界」は眩しすぎる

          あの頃より、自分の紡ぐ言葉は成長してるだろうか。ふと、そう思う。過去に手掛けた書籍を手に取って、優劣探しをしたくなったけど、やめた。どの瞬間も、その時に書ける最良の言葉を紡いできただけ。必死に文字を書いてきただけ。今と昔、どっちが優れててどちらが劣ってるかなんて、どうでもいいな。

          あの頃より、自分の紡ぐ言葉は成長してるだろうか。ふと、そう思う。過去に手掛けた書籍を手に取って、優劣探しをしたくなったけど、やめた。どの瞬間も、その時に書ける最良の言葉を紡いできただけ。必死に文字を書いてきただけ。今と昔、どっちが優れててどちらが劣ってるかなんて、どうでもいいな。

          一番に何でも話したい相手が、ずっと母だった。なんでも知らせていないと、怖い気もした。その相手が彼に変わって、「自分が分かっていればいい」と思えるようになったのは、いつのことだっただろう。話したいことと話したくないこと、話せないことの選別ができるようになった。

          一番に何でも話したい相手が、ずっと母だった。なんでも知らせていないと、怖い気もした。その相手が彼に変わって、「自分が分かっていればいい」と思えるようになったのは、いつのことだっただろう。話したいことと話したくないこと、話せないことの選別ができるようになった。

          悪夢で気づいた、私の中の”私”の痛み

          久しぶりに、息が切れて目が覚める悪夢を見た。カウンセリングを受け始めては死にたい夜がほぼなくなって、家族の中で苦しい悪夢を見ても親に言い返せていたのに、今日は久しぶりに言い返せない夢だった。 これは、私の中にいる愛ちゃんの記憶…。目が覚めて、そう感じた。やっと、あの子が出てきてくれたんだろうな。 ひとりだけ、まだ深い穴に落ちている、インナーチャイルドのあの子。前回のカウンセリングで穴から這いあがれないのが分かったから、「太い紐を垂らして会いに行けばいいのでは?」と思った。

          悪夢で気づいた、私の中の”私”の痛み

          障害を持っていなかったら、きっともう少し人生は明るかった。けれど、この体で生まれてきたからこそ、出会えた人がいる。知れた世界がある。感じた優しさがある。やりたいと思えることがある。障害は絶望をもたらしたけれど、光の見つけ方と見ようとしなければ見えない世界の尊さを教えてくれた。

          障害を持っていなかったら、きっともう少し人生は明るかった。けれど、この体で生まれてきたからこそ、出会えた人がいる。知れた世界がある。感じた優しさがある。やりたいと思えることがある。障害は絶望をもたらしたけれど、光の見つけ方と見ようとしなければ見えない世界の尊さを教えてくれた。

          ちょっと飛びぬければ、SOSを救い上げてくれる人には巡り会える。でも、そこまでの過程で心が死ぬのが、今の社会。飛びぬけるには、何度も冷たい視線と尊重されない痛みに耐えないといけない。それを変えたいと思うんから、頑張るんだよな。飛びぬけなくても、「辛い」の叫びが届く社会がいい。

          ちょっと飛びぬければ、SOSを救い上げてくれる人には巡り会える。でも、そこまでの過程で心が死ぬのが、今の社会。飛びぬけるには、何度も冷たい視線と尊重されない痛みに耐えないといけない。それを変えたいと思うんから、頑張るんだよな。飛びぬけなくても、「辛い」の叫びが届く社会がいい。

          最近、取材のご依頼をさせてもらう時や取材時に「記事見てますよ」と言ってもらえることが多くなってきた。読み応えあるももちろん嬉しいけれど、なんか頭に残ったとか心に刺さったとか、理由が説明できないレベルでいいと思ってくれている人もいて、嬉しい。もう少し頑張ろうって思える。

          最近、取材のご依頼をさせてもらう時や取材時に「記事見てますよ」と言ってもらえることが多くなってきた。読み応えあるももちろん嬉しいけれど、なんか頭に残ったとか心に刺さったとか、理由が説明できないレベルでいいと思ってくれている人もいて、嬉しい。もう少し頑張ろうって思える。

          ありのままの「今」で向き合えばいいと思った日

          26回目のカウンセリング。前回は久しぶりに死にたいくらい、心も体も疲れ切っていたけれど、今回はどちらも軽かった。 カウンセリング前、いつも私は自分の「いま」をあらかじめ振り返っては「こういう状態だって伝えよう」とか「こういうところが問題だと思う」とか考えて挑んでた。 でも、今回はそういうのしないまま、カウンセリングに行こうと思った。事前準備をしないまま行きたくなった。上手く、今を説明できなくてもいいじゃない。何も言葉が出てこなくてもいい。あの空間に行った時に感じる自分の気

          ありのままの「今」で向き合えばいいと思った日

          来る確率が限りなく低い「老後」に夢を乗せることにした

          「老後は車に乗れなくなるから、街に引っ越そう」  そう話すパートナーの言葉を聞くたび、心がじゃりじゃりした。生まれた時から付き合っている病気では、65歳以上の人がいないから。 医師から、日本では50代が最高齢だと聞いたことがある。弁からの逆流が月日を増すごとに悪化している自分に、「老後」があるとは到底思えない。 迎える可能性が低い未来の話をされると、心が暗くなった。どう答えていいのか。いつも、そう悩んで「そうだね」と嘘の笑いを返した。無神経な未来の話に苛立ちもした。 そ

          来る確率が限りなく低い「老後」に夢を乗せることにした