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「嘘つき」の根拠を探そうとした、あの日

信じることよりも疑い続けることのほうが、実は楽なのかもしれない。

へたくそな手作りのお守り。ゴミにしていいよって言いながら渡した時、「心のこもったものは必ず大切にしたい」と言ってくれたあの人の言葉に喜びながらも、その言葉に隠された嘘を探そうとした。

「いつも使うカバンに入れて、持ち歩くね」と言うあの人の優しさを、どうせ嘘だろって思って、軽んじた。私は愛され、大事にされるに値しない人間だから。

ゴミ同然のお守りを渡して数ヶ月後のこと。ホテルに泊まった時、偶然、あの人のカバンが開いてた。―…嘘を暴いてやろう。お前もどうせ、口だけなんだろう。そう思って、中を見た。お守り込めた私の気持ちなんて大したものじゃないだろう。

カバンを開けてみて、自分が嫌になった。あの人は、あれからずっとお守りを持ち歩いていてくれていた。私に伝えた言葉通り、大切にしてくれていた。相手を信じない・愛さない理由を作ろうとした自分に心底うんざりした。「どうせ、こいつも嘘つき」の根拠を探そうとした自分の弱さが痛んだ。

人の言葉の裏を考えるようになったのは、いつからの頃からか。人のことも、自分のことも信じられなくなったのはいつからだったんだろう。この心は誰かからの嘘で何度傷つき、私の唇は何度誰かを傷つけてきたんだろうか。

物心ついた頃から、私は誰かのピエロだった。殺伐としている家族を笑わせるため、道化になりきった。自分の笑顔なんて見つけられないうちから、誰かの笑顔を貪欲に求めた。誰かの愚痴吐き場となりながら。そのポジションに立候補すれば、見捨てられないと思ったから。

家族間の歯車がかみ合わなくなったのは、いつだったか。覚えているすれ違いは、小学校1年生のある日のこと。アルコール依存症で毎日暴言ばかり吐く父親。その愚痴を私に言う母の姿が痛かった。当時、テレビで芸能人が自宅に訪問して夫婦仲を改善させるという番組を見て、本気で「これに応募すれば我が家も平和になるんじゃないか」と思い、母に伝えた。

子供の浅知恵だな。けれど、その頃の私には精一杯の解決法だった。「この番組に応募してみたら?」そう言った私に母は「お金がないから無理やね」と答えた。濁したこと、大人の今なら分かる。でも、子どもだった私はお金さえあればお母さんは嫌な思いをし続けなくて済むと思った。

だから、ある日、それまで溜めたお小遣いを母に押し付けた。受け取ってもらいたかった。幸せになってほしかったから。

「子どもからお金なんて貰えない。」母がそういって押し返してきたことは、一般的に見れば当たり前の行動だ。けれど、なぜかすごく寂しかった。私は無力だと実感した。問題を解決できないなら、せめてずっと笑っていてほしい。そう思ったから、道化を演じ続けることにした。それから、何十年もずっと―。

その中で、涙を流した日があった。苦しい涙ではなく、人との別れを惜しむ心の雫。大人から見れば、何でもない涙かもしれない。でも、子どもの私にとってそれは大きな涙の理由だった。それを父親に「なんでそんなことで泣いとんの?しょーもない」と片づけられてから、私は家族の前で泣けなくなった。泣かない子。何を考えているか、分からない子。道化だった私は、奇妙な子になった。でも、それでもよかった。自分が流す涙の価値を、誰かに値踏みされるくらいなら、誰にも何も分かってもらわなくてもいい。分かろうとしてもらわなくてもいい。

自分を偽り続ける日々が続くうちに、自分の中で反骨心だけが大きくなっていった。世間体だけを気にする両親が心底嫌で、高校生の時、自分自身に「媚びない大人になろう」と誓った。

そんな私の態度を見て、母は言った。「媚びなければいけない時もある」と。でも、ずっと思ってきたんだ。「気遣い」ができれば、「媚び」なんていらないんだと。長年、道化でありつづけてきたから、もう誰かの前で自分を演じるのは嫌だった。誇れなくても、好きになれなくても、「私」でいたかった。

笑える道化になるために、誰かの笑顔を作るために誰かの言葉の裏を読んで、期待に応えようとしてきた私にとっては、言われたままの意味で言葉を受け止めることがとても難しい。相手の口から出る言葉は、すべて「嘘」や「建前」のように思えてしまう。そして、自分自身も、思ったままの言葉がすっと口から出せない。一度、頭で考えて、心で飲み込んでから口にしないと怖いから、何十年生きてきても、素直な言葉をそのまま伝えられない。

言葉は怖い。心をさらけ出すのも怖い。誰かの心を見るのも怖い。優しい響きだけの言葉やその場限りの愛情を与えるくらいなら、いっそ突き放してほしいと思うくらい、人間のことは怖い。信じられない。でも、好きになりたい、信じたいとも思う自分もいる。

耳や目から入って心に溶けていくような柔らかい想いって、あるんだな。ゴミみたいなお守りを通して、少しだけ思えた。もしかしたら、裏のない言葉もこの世にはあるのかもしれない。

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