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私たちは、お寺や神社に行くと、つい何かをお願いしたくなります。

でも本来、お寺や神社はお礼や感謝を伝える場所で、お願い事をする所ではありません。

でも、つい、お願い事をしてしまいそうになります。

お寺のお経も、死者を弔うものとして、私たちは捉えがちですが、本来は、仏様に成り代わって、和尚様が真理を唱えているだけで、死者を弔うものではないようです。

そしてお釈迦様は、自分の姿を仏像にしてはいけないと弟子達に言われたそうです。

迷いから逃れるには、自分で心の穢(けが)れを祓(はら)い、磨いていかなければならない。

求めるものは自分の中にあるのだから、偶像、つまり仏像を造って崇めたてるのはいけないとおっしゃっています。

しかし、お釈迦様の死後、600年~700年ほど経つと、人々は仏像を造るようになりました。

最初はお釈迦様という真理を見つけた立派な方に近づくためには、お釈迦様の姿を模した仏像をシンボルにし、「この人になりたい」 「この人の考えを理解したい」と目標を定めやすく修行に打ち込めたからでした。

つまり、仏像は本来、願いを聞いてくれる存在ではないのです。

迷いから逃れるためには、自分の中にある穢れを祓い、日常の中で魂を磨いていく…その事に意味があるのだと思います。

仏像や、お詣りする事に頼るのではなく、本来の目的を覚え、自分の心を磨く努力をしていきたいですね。

今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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