「他人と比較する」ことのすすめ

タイトルに偽りありというか、積極的に自分と他人を比較して辛くなりましょう、ってことを主張したいわけではないのですが、世の中には安直に「他人と自分を比較するなんて不毛」みたいなことを繰り返す説教臭い言説が溢れすぎてると思うんですよね。

確かに、他者と比較した結果はざっくりいって以下の3パターン、どれもぱっとしないと言えばしません。

パターン①「自分の方が優れている」

いかにも印象が良くない。その相手だけでなく、一般論として自分のことを優れた存在だと思ってしまうと、その後の成長もなさそうだし、なにより人間関係に支障がありそうです。逆に、勝てる相手を選んで比較しちゃってる疑いも出てきそうです。

パターン②「まあ互角」

安定路線。同調圧力による静かなる平衡状態。似たような奴を選んでつるんで発展性が感じられない時間を過ごしたい人には良いのかもしれませんが、比較する意味がないというか、そもそもセンサーがうまく働いてないだけっていう疑いが生じそうです。

パターン③「相手の方が優れている」

最近の若者の苦悩としてよく取り上げられる奴ですね。セレブやらインフルエンサーやらと自分を比較して辛くなる、という。高いレベルの人と比較して自分の不足を見極め、改善する……なんていう行儀の良い話もありそうな分他のパターンよりは成長や発展が望めそうな気もしますが、それだけに苦しさの根源になりがち、とも言えそうです。

確かにどれも不毛ではありそう

(厳密には違いが大きすぎて比較評価ができない、というパターンもありそうですけど、ひとまずそれは置いておいて)
確かに、どのパターンに落ちても良いことは無さそうです。これでは確かに、世の中の人達が「他人なんてどうでもいいでしょ?」みたいな気取りをかましたくなる気持ちもわからないではないというものです。しかし、言われてすぐに改善できるなら皆そうしてるでしょうし、それが常識になってわざわざそんな説教臭いことを繰り返す雰囲気ではなくなりそうなものです。言ってる側は、何かブレイクスルーがあって「他人との比較を止める」ことに成功したから、同じ振る舞いを推奨しているんだと思います。しかし、その人達もそれまで何度も他人からそれは不毛と言われてたはずで、そう言われてすぐに是正できたなら、自分の手柄みたいに喧伝しだすのはちょっとおかしい。ということは、言われてもすぐには実行できなかったが、その後なにかのきっかけで他人との比較を止めることに成功し、そのくせ自分が言われただけではできなかったことをすっかり忘れて、先駆者と同じアドバイスを繰り返すゾンビになってしまった、ということであるように思われます。

代案は?

では、他人と比較しない人はかわりにどういう行動様式を採用しているのでしょうか? 当人たちのアドバイスをある程度鵜呑みにするのであれば、「他人と比較で一喜一憂せず、過去の自分と比較してその成長を見極めろ」とか「他人が決めた評価基準ではなく、自分で作った評価基準で測れ」なんてことが言われています。要するに、幸福感、満足感の物差しを他人に依存するのは悪手である、ということですね。これはもっともです。自分が高得点をとりやすい採点ルールで高得点をとって満足できるのであれば、勝率はかなり高くなります。幸せになるつもりがあるなら、是非その方式を採用すべきです。

しかし、自分が自分のためにつくった採点ルールを本気で採用する、って技術的に難しいというか、安定感が感じられないと思うんですよね。

例えば、人気のお店で食事をするのではなく(人気とは他人の評価の集合です)、自分が美味しいと思うお店で食事をする、とか、流行のファッションを追うのではなく自分のセンスにあったものを着、とか、っていうことがこれに相当すると思います。できてそうな人は確かにそれなりにいるし、自分でもジャンルによってはある程度できてそうな気もします。しかし、そのできているという状態がいつまでも続くかというとそうでもないんじゃないかという疑いが拭いきれません

好みやセンスの持続可能性

昔好きだったはずのものが、今ではそれほど良い物だとは思えなくなってる、というのは寂しいことですがある程度の年齢になれば大抵の人がどこかのジャンルで経験しているのではないかと思います。何を持って良いとするかちいう基準はそれほど安定したものではないのではないでしょうか。

人間の欲望は模倣から生じる、と言います。他人が欲しがってるものを欲しがる、というのはある種生理的というか人にとって自然な反応だと考えられているわけです。自分のための自分でつくった物差しというのは、その正当性を信じ続けるためのエネルギーを自己発電しなければいけないわけですが、そのためのもっとも有望な発生源である他者の欲望に対する模倣を禁じ手とされてしまっている、という歪さを持っている、という面があるように思います。

自分専用の物差しは、良い結果を算出してくれる期待が高いわけですから、それを積極的に利用することで幸福に近づく、強力なツールになります。しかし、どこかで破綻する可能性はやはりある。それは上記のような息切れかもしれないですし、他人から心ない言葉を投げかけられて自分の物差しの価値を信じられなくなってしまう、というような事故のような事態かもしれません。それに対して、他者との比較であれば結果はある程度安定する上、物差しそのものの破壊が困難です。模倣による欲望が続くため、息切れの心配も相対的に少ないと期待できます。つまり、そちらの方がむしろ持続可能性が高い、と言えるのではないか。

結論

ということで、安直に「他人と比較するな」なんていう雑な助言に振り回されることを避け、例えばジャンル毎に自分の物差しを持てそうなところは持ち、そうでないところではある程度他人との比較や他人の物差しにも適当に依存しながら生きていくくらいが調度良かったりしないかな、と思う次第です。

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