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『人生転換年表#6』無職カナダ語学留学時代:ホストファミリーとの出会い

前回、退職後の行動について紹介した。

今回は、1999年9月から12月までのトロントでの語学留学経験(ホームスティ)について話したい。

シカゴから飛び立った飛行機が、トロント・ピアソン国際空港に到着したのは夜。空港のArrivalsに出ると、語学学校が派遣した送迎バスの運転手が私を待っていた。私以外にもベネズエラからこの学校に留学する若い女性もホームステイ先に送迎する予定ということだった。

ベネズエラからの飛行機はすでに到着しているはずなのに、そのベネズエラ人女性が到着ロビーになかなか出てこない。どうも入国審査で時間がかかった様で、彼女を待ち続けたのを覚えている。

到着ロビーに現われたベネズエラ人の女の子は、小柄で肌は小麦色で少しカールが入った長い黒髪を一つに束ねていた。人生初めて、ベネズエラ出身の人と会話をした経験で緊張したが、彼女はとても優しい口調で私を安心させた。

夜9時過ぎ、やっとホームステイ先に到着した。ホストマザーは夕飯を作って私を待っててくれてたのだ。当然夕飯を食べていなかった私は、彼女の作った夕飯を頂き、軽く家の間取りの説明を受けた後、疲労困憊でバタンと眠りに付いた。

翌朝、ホストマザーに家族を紹介された。ホストマザーの家はユダヤ教の3人家族で、息子のベンはその年の9月からトロント大学の1年生になり、大学寮で生活を始めている。高校生の娘がいた。彼らのお父さんは離婚して別居していたが、時々家に来ていた。

ホストマザーのクラウディアは50代後半の台湾が大好きな女性で、料理が物凄く上手だった。

当時とても人気があったテレビ番組「世界ウルルン滞在記」(芸能人が外国でホームステイし、さまざまなことに挑戦する姿を追うドキュメンタリー番組)にはまっていた。

たった1週間足らずのステイにも関わらず、ホストファミリーとの別離の際にステイヤー達(リポーター)が涙する場面を見て、ホームステイへの期待が勝手に大きく膨らんでいた。

でも、今なら「ホームステイに過剰の期待はできない。当たり外れがある」と言いたい。短時間で心の触れ合いができる出会いもあるかもしれない。でも、大半は「空いている部屋をからにするのはもったいない。家賃収入をとれるからホームステイビジネスをしよう」と副収入として捕らえている人が多いと思う。

日本では「国際交流」を目的として外国人をホームステイさせるケースだろうが、カナダやアメリカやイギリスは国自体が多様文化国家なので、いまさら「異文化交流」をする必要はないだろうから。

だから、「ホストファミリーとの心の触れ合い」を期待して外国に行くと、実際ビジネスライクな対応をされ「ホームステイ」に失望して帰国する日本人も多くいるだろう。

実際、私の場合は、クラウディアは「無職中」で、長男のベンが大学寮に住み始め、彼の部屋が空いたので、私が彼の部屋を「間借りした」のが正確な表現だろうと思う。彼女は語学学校から私の滞在費を受け取っていた、そんなビジネス関係。

しかし!私は幸運にも、ホストファミリーから「家族の一員」として接してくれているのを感じた。21年たった今でも鮮明に覚えているのが、

1)毎回手抜きなしの素晴らしい美味しい食事。しかも手作りのお菓子は何時もキッチンのテーブルに置いてあった。このお菓子はまるでパティシエが作ったような見た目も味も素晴らしいお菓子やケーキだった。

2)食事は何時も一緒に食べたし、クラウディアから料理も教わった。特に、ユダヤ教の大切な日に食べるラトケス(冒頭の写真:ポテトパンケーキの一種で、ユダヤ人が伝統的に宗教行事ハヌカーの祝賀で食べる)を一緒に作り、レシピを貰った。

3)私にトロントの夜景を見せたくて、夜ドライブに連れて行ってくれた

4)「感謝祭」の時、家族が全員帰ってきて、彼らと同じ時間空間を過ごせた。感謝祭の食事(ローストターキー)の前に、ベンと彼のお父さんに誘われ一緒に近くの公園に行き良い時間を過ごした。

5)私が「フィュシュアンドチップス」を食べてみたいというと、クラウディアが地元のレストランにつれていってくれた。

6)カナダの美しい秋の景色(紅葉)をみせたくて、クラウディアが私を車でトロント郊外に連れていってくれた。

7)帰国がまじかになった時、私を古着屋店に連れて行き、花の綺麗な刺繍の入った真っ赤なセーターをとり「これ貴方に似合うわ。私からのプレゼント」と言い、買ってくれた。「なんだ、古着をプレゼントするなんて」と思う人もいるだろう。私は彼女の「私に何か記念としてプレゼントしたい」と思ってくれたその気持ちがとても嬉しかった。

8)クラウディアがボランティアで(移民に)英語を教えてた学校のクリスマスパーティに連れて行ってくれた。(そこで韓国から移民してきた家族たちに会った)

そして、最後に彼女から言われた言葉がその後の人生に大きく影響を与えた。

クラウディアには私自身の今までの人生について、これからの人生について話すことができた。帰国まじかになると、「現実 (日本で無職)」に引き戻される感覚に陥り、とても不安に感じるようになった。多分彼女にその不安を吐露したのだろう。すると、

ゆみこ、私を見て!この年齢(50代後半)で無職だけど、今英語教師になろうと訓練を受けているわ。こんな私でもちゃんと立って生きれているでしょう

この言葉がどんなに33歳の私を救ってくれたか。

日本では当時「30歳を超えて正社員の再就職なんてありえない、日本で30代独身無職女性として人生終わった感」を跳ね飛ばしてくれた一生忘れない言葉の一つ。


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